沈黙の春の子どもたち

貼っておく。

発達障害の原因としての環境化学物質

https://i.kawasaki-m.ac.jp/jsce/jjce23_1_1.pdf

発達障害の急増、という言葉にまず驚いた。増えているのか。その原因は遺伝ではなく環境化学物質によるという内容。農薬の使用量の多い国で発達障害が急増している。韓国、日本、アメリカ…。
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」を思い出す。沈黙の春はずっと続いていて、私たちは沈黙の春の子どもたち、ということになるんだろうか。

遺伝だと思っていた。息子が自閉スペクトラムの診断を受けたとき、その診断内容は、親の私たちにこそあてはまったから。このふたりの親から生まれたら、こうなるしかないだろうという自然さだったので、それは遺伝なのだと思う、やはり。

では私たちについてはどうか、というと、なんともいえない感じがしてくる。
私も、私の弟も発達障害だと思う。では、その親はどうかというと、これが微妙だ。私たちは、これがふつうの親、と受け止めたが、たぶん、ふつうじゃなかったかもしれない。


母ははやくに死んでいるが、母と世間との感覚のずれ、は子ども心に感じていた、と思う。そのずれ、に母が傷つくとき、自分もともすると母を傷つける側にまわってしまうのだったが、そういうとき、母をせつなくて、私は世間と自分をきらいだった。

父は、まじめに仕事をするお父さんだったのだが、どっかヘンではある。職人は頑固だから、という言い方があるから、まあそういうことにしておいてもいいが、何か心のクセのようなものがある。叔父たちもそれぞれにヘンである。
親たちは親たち世代としてそれぞれにヘンなので、それが発達障害によるのか、戦争のせいなのか、教育を受けられなかったせいなのか、個性なのか、よくわからない。
もう70代80代だから、どうでもいいというか、どうにもならないんだけど。

子どもの教育については、たぶんお手上げ状態だった。仕方ないのだ。父も母も小学校しか出ていない、ふたりが子どものころは戦争だったし貧乏だったし。
私も弟も、親から見れば、どうしていいかわからない子どもだったと思うのだが、お手上げながら、母が母なりに心を砕いてくれたことは、よくわかっていた。

パパのほうは、義父母さんとも高学歴の一族だけど、「発達障害の子どもへの教育のありかたとしては、まったく適切ではなかった」らしい。責めようもないことだけど。


私たちと息子との関係では、遺伝は疑えない、と思う。だから心配であり、同時に安心もしている。互いにわかりやすいので、家族の関係にストレスがない。仲間意識もある。だから、そうか遺伝か、と思って納得、だったのだが、

私たちと親たちの関係で、互いのわかりあえなさ、異文化交流の難しさみたいのは、時代の違いなのか、発達障害のあるなしの違いによるのか、個性によるのか、よくわからないところだ。

化学物質が原因と言われれば、それはそれで納得できる。父たちが子どもの頃には、きれいだったという川は、腐敗臭のするどぶ川だったし、学校は田んぼの中にあったが、農薬散布の白い煙がただよってくるなかを歩いたりしていた。私は小学校4年生ころまで、ずっとぜんそくだった。


とすると、戦後、高度経済成長の私たちの世代から、発達障害は増えていて、それが親になって、子どもたち世代にいよいよ顕著にあらわれてきているということかもしれない。

親が発達障害でなくても、子どもが発達障害であるということも、あるわけだ。化学物質が原因なら、増え続けるばかりだと思う。
もう、障害という言葉が不要に思えるくらい、あたりまえに、存在していると思うもん。クラスに2人や3人はいるし。不登校もあるし。

思い返せば、子どもの頃から、発達障害の子は、まわりにけっこういた。悩んだり泣いたりしているお母さんたちもたくさん見てきた。それがいまもずっと続いている、しかも増えているらしい、ということなのだ。

もとより無傷な命はないというか、壊れたり壊れかかったりしているものが、家族、のようなものをつくっているというか、でもそれでも、懲りずに命をつないでゆくし、

こんなに危うげでありながら、私たちは幸福にしかならない、と思っている。


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ピアノの調律。このときしか見る機会がないけど、羊と鋼の森は、造形的にも美しいなあと思う。学校から帰ってきた息子、音がきれいだと喜んで弾いていた。
線路はつづくよ、どこまでも…♪

 

体育祭

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土曜日が雨だったので、昨日の月曜日、体育祭。運動場も広いが、空も広い。風も吹いて涼しくて、半日過ごすのも気持ちよかった。
いつ頃からか運動会の時期になると、「明日は地獄の運動会♪」とラデツキー行進曲の旋律で口ずさんでいる息子だが、それは罰が当たるというもんだろう、と私は思う。

だって、息子の学校の運動会、楽だよ。ひとことで言えばたんたんとしている。
1、2年はソーランがあるが、それも部活の時間に先輩から習います、みたいなことだし、3年以上は団体演技はない。
応援合戦もない。有志の応援団十数人が演武する。リレーは得意な人たちが走るし。
さらに、入場行進もない。
団体別の出し物とか、パネル製作とかもないので、役員でなければ、前日までの準備もない。
で、息子が何してたかっていったら、教室の椅子を運動場に出してすわって、準備体操して、学年を超えた種目で、6年生のかわいいお姉さんとボールもって走って、騎馬戦で、後ろ脚になって、1年生乗せて走って惨敗して、クラス対抗の種目で、10人のむかでで100メートル走って、1年から6年まで全員参加のフォークダンスやって、

以上である。

超絶運動音痴で、集団行動嫌いの、息子の表情の明るいこと。小学校のころの運動会の日の、実にいやそうな顔で応援合戦してたり、踊ったり組体操したり走ったりしてたときとは、別人のような明るさで、
きみみたいな子にとっては、理想的なんじゃないの。

小学校の最初の運動会でピストルの音にびっくりして以来、運動会が嫌い、中学の運動会も高校の運動会も、心底うんざり、同級生たちが熱中するほどに、どんどん孤独でしんどくなっていた記憶しかない私としては、入場行進もない、この学校の運動会って、とてもいいと思うよ。

E判定

さすがにこれはまずいんじゃないの。
と、思った。
薬屋さんに、血圧とか骨とか心拍とか測れる器械がおいてあって、測ってみたところ。
「骨ウェーブ測定結果」というやつが、E判定。AからEまでの一番悪いやつ。
2年程前はD判定だった。気をつけないとねえ、と思って、思っただけだったなあ。
でもEはいやだなあ。

そんなわけで。
フィリピンでもらってきた小魚の干してスライスしたやつ食べている。好きじゃないけど牛乳も飲む。
がんばってみよう。

心拍のほうは、平均心拍数が50。「非常に低い」らしい。あと「疲労度が高い」。「血液循環がよくなく血管の老化が少し進行している」。
よくないなあ。

最近思うんだけど。
10代の頃、私は大人になった自分を想像できなかった。20歳を過ぎても、大人になった気はもちろんしなかった。30歳になったころは、むしろ人生は終わったように感じていて、人生は終わったのになぜまだ私は生きているんだろうと不思議だった。要するに、どうやって生きればいいのか、いつも全然わかんなかったのだ。
でもわかんないなりに、生きてみる気力はあった。40歳か50歳になったら、大人になってるかもしれないし、そうしたら少しは何かわかるのかもしれない、と思った。50歳からあとも人生が続くとは、考えられなかったけど。
で、わかったことは、
歳とったって、さっぱり大人にはなってないってことだ。子どもを産んでも、母親になった気はしないし。何かがわかった気もしない。でもまあ、なんとか生きてこれたのでよかったかな、と自分をゆるしているんだが。

はっきりとわかってしまった。
大人にならなくても、老化はする。

怠けないようにしよう。ちゃんと歩いたりちゃんと食べたりしよう。口を動かすのが面倒だとか思わずに、お魚食べよう。忘れないようにしなきゃ。
E判定なんだから。

 

ワンワンたち

 昨日の夕方、突然の家庭訪問。
何があったかというと、息子が相談事があって、担任に手紙を渡した、その件で、詳しく話を聞きたい、ということで。

K君が最近絡んでくるのが、たまらん、という悩みだった。大声で息子の名前を連呼しながら迫ってくるのだそうだ。ワンワンワンワンって? うん、そんな感じ。「ワンワン」と呼ぶことにしよう。春頃、息子に、陰キャ死ね、って言ってきたやつだ。
そのワンワンが、2年前の、あれは1年冬の息子の惨憺たる失恋劇を今さらほじくり返して、「Nのことは好きなのかー」みたいなことを大声で言うのらしかった。無視しても絡むし、答えればまた絡む。
どうしようかと友だちに相談したら「うるせーって言えば」っていうので「うるせー」って言ったら、ワンワンは、とりまきAに「うるせーって言われたよー」と泣きついてみせた。するとAは「いきがってんじゃねーよ、カス」と言ってきた。
そのAは、ラインのなりすましの容疑者だけど。


で、そのワンワンの最近の行動が、いろいろと突拍子もない悪ふざけもあって問題なので、先生たちが対応を相談していたところに、息子の手紙だったので、急ぎ取材に来た、ということだった。
ワンワンは遠目に見ている分には、面白かったりするんだけど、絡まれたらうんざり、絡まれた子たちは彼をきらいになる、という話を息子はしている。


担任が聞いているところの話では、1年のときに、息子がNに告白してふられた、ということだったが、いえいえ、先生それは違う、
息子は何にも言ってない、クラスの男子が勝手にNに、あいつのことどう思う、と話をして、聞かれたNは「タイプじゃない」と答えた。それでやめとけばよかったのに、その男子は、さらにしつこく聞くもんだから、警戒したNは、息子のことなんか大っ嫌いだし顔も見たくない、と言った。ほかにもずいぶん言ってくれたので「罵倒観音」というあだ名をつけたっけ、そういえば。男子はそれを、みんなに言いふらした上に、息子に向かっては早く告白しろよと煽るというわけわからない話で、からかったり悪ふざけしてくるようなやつもいて、それが数か月ほどは続いた。この1年ほどは収まっていたのに、今さらどこから聞いてきたのか、ワンワンがまた掘り返してきている、という次第なのだった。ここ掘れ、ワンワン。
「そりゃ災害じゃないか」と担任。「それはずいぶん、しんどかったね」と言ってもらったときの、息子のほっとした表情は、とてもよかった。

共感してもらうって、大事だなーと思った。誤った情報も訂正できたし。
で、なぜ、Nに告白してふられた話になってるのか。
「1年の担任に話したときの、ぼくの説明が悪かったかな」
たぶん、そうだな。


 

いつかどこかで

7月の豪雨に続いて、台風。つづいて今朝は、北海道で地震らしい。
家や街が壊れる、というの、子どものころはアニメのなかの景色だと思っていたような気がするが、いまは現実によくある景色だと感じるようになってきた。
こんなに壊れやすい世界だったかと、今さらに思うんだけど。
息子が言うには、「列車の旅をいろいろ考えるだろ、実現したり実現してなかったりするけど、考えたそのあとに、災害で不通になるというケースが3割ある」そうだ。
それは息子にとっての、壊れやすさの実感、なのだろう。
ところで、関西空港が海の上に浮かんでいることを、私は一昨日まで知らなかった。

パアラランの友人のみなさんは大丈夫でしょうか。フィリピンから安否心配のメールをもらっています。

☆☆


こないだ息子とアニメを見ていて、これ、いつかどこかで見たような話だなと思いながら見ていて、
いつもと同じように、ふたりで並んですわってみていたんだけど、ふと、こんなふうに誰かと肩組んですわっていたこと、昔もあったよなと思って、でも思い出せなくて、しばらく気になっていた。
しばーらくして、思い出した。
この写真。私2歳か3歳かな、弟と。
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部屋のなかに、父がつくったブランコは、私のためのものだったと思うんだけど、たいてい洗濯物に占領されていて、洗濯物の上にすわると、母に叱られましたね。

これだ。思い出したら、それで終わりの話だけど。
ちょうどこんなふうに、すわっていた。感覚が、同じなのだった。

 

無限ループ

夏休みはとっくに終わり、息子は運動会の練習がいやだと言いながら学校に行き、あれこれ学校の話題と一緒に帰ってくる。
夏休み明けの数学のテストの点数がすごい。上は100点から下は1けたまである、と言う。若者、30以下は追試らしい。(つまり、ぼくが何点でも問題ない、と言いたい)。それから「ここで問題です」ときた。A君の点数はB君の6倍でした。そしてそのB君の点数はC君の6倍でした。ABCそれぞれの点数は何点でしょう。

3年生はこれから1年かけて、それぞれ自由研究するらしく、テーマを考えるというのが、夏休みの課題のひとつだった。
そういえば、小学校のときに「トイレの歴史」とかを自分で調べていたのは、面白かったけど、いまの息子のテーマは、鉄道の話のほかにない。
ほかの人たちはどんなテーマなのかと聞いたら、「小児がん」とか「不登校」とか、なんかすごい。「絶滅危惧種」を絶滅から守る、というテーマもあったよという話をしていたら、
絶滅危惧種を守るには、人間が絶滅するのが話が早い、などとパパが口をはさむ。
そうだけど。

ドストエフスキーのもうひとつの地球の話みたいになるよね。ああ、あれね。
と私と息子は、「おかしな男の夢」という短編の話を思い出す。
自殺したいと思う男が、夢のなかで、もうひとつの地球に行く。そのもうひとつの地球はこの地球とは違っていて、心の美しい人が住んでいる。妬みも争いもない星なのだ。もうひとつの地球の美しさに触れて、目覚めた男は、自殺を思いとどまる。だが、男が訪れたために、もうひとつの地球では、妬みや争いが生まれてしまった、という話。

それで、息子が言ったのは、
「パヤタスは大丈夫かな」

つまり、自分が行ったせいで、あの土地を汚染してしまったのではないかと言うのだ。

たぶん、一週間の滞在は、なかなかしんどかったのだろう。まわりの思いやりと、うまくふるまえない自分に葛藤して、そのしんどさが自分の汚れを意識させる。ぼくはパヤタスの人々を、傷つけなかっただろうか?

「パヤタスは平気だよ」
きみみたいな子はたくさんいたからね。
パヤタスは、たくさん傷ついて、たくさん乗り越えてきているからね。

きみは、いい子だったよ。

無限ループなのだ。内なる暴力性というものはある。生きていれば、それでもって他者を傷つける。他者を傷つけないためには、他者に出会わないことだ。ひきこもるか。いっそ死ねばよい。でも自殺もまた、暴力なのだ。右に行く人が邪悪だからと言って、左に行く人に暴力性がない、というわけではない。生きても死んでも、右へ行っても左へ行っても、暴力の汚染から抜け出せない、どうかして自分を消去したいのにできない、という基本的な絶望を、どうすればいいのか、ということを、私はぐるぐるぐるぐる考え続けた。
この絶望にこたえが出せないのに、なぜ人が、何かを望んだり、たとえば家族をもったり、子どもを産んだりすることが、できるのか、なぜ、こわくないのか、私は不思議でしかたなかった。

男は、もうひとつの地球を滅ぼした。星ひとつ滅ぼすほど、人間は邪悪なんだけれども、たしかに。でも、星ひとつ滅ぼすほど邪悪でも、男が自殺を思いとどまった、ということは、絶対に大事なんだよ。
ということを、忘れないでいてくれるといいんだけどな。

昔、パヤタスに、一番最初に日本からの支援が来たあと、学校で教師たちが盗みをはじめた、ということがあった。支援は一時的なもので、すぐに底をついたのに、日本から支援がきたということはたくさんお金があるに違いない、でも私たちの給料は上がらない、それはレティ校長が独り占めしているのだと思った先生たちが、学校の備品やお金を盗みはじめた。
それまで、姉妹のように思って一緒に働いてきた人たちが不信で傷ついてしまって、教師もお金もなんにもなくなったところに、レティ先生がひとり残って学校を続けていた。子どもは200人来ていた。

善意だからといって、善い結果をもたらすとは限らない。いい気な善意が、信頼や思いやりや、尊いものを壊してしまった。こんなことなら、最初から関わらなければよかったのに。と思ったけれど、もともとの善意を責めるのも、違う気はした。
それでも日本で、支援をやめた人たちが、支援は彼らのためにならない、と言っていると耳にしたときは、怒りで頭がぼうっとしたんだけど。

だれかが、ごめんなさいを言わないと、せつない。
そういうなりゆきの、そういう場に居合わせてしまったので、支援グループをたちあげることになったし、毎年通い続けることになったんだけれども。

たぶん、この地球に生まれたということはよ、暴力や邪悪の遺伝子をもってるってことよ。暴力は伝染するし、自分だけ伝染されずにすむということもないんだけど、その無限ループを、いまいる場所で、生きてどうやって食い止めるかは、それぞれに課せられた宿題なんだと思うよ。

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帰省のとき、宇和島駅で久しぶりに見てなつかしかった「安全第一」の門。

スペシャル・チャイルド

23日。パアラランに送金。送金できた。
ほっとしています。緊急に助けてくださった友人のみなさま、ありがとうございます。
いつもいつもぎりぎりの自転車操業なのですが、こんななか30年近くも学校が続いているということが、なんかもう人間ってすごい、と思う。
でも、本当になんてスリリングな自転車操業
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パアラランに、息子にそっくりな男の子がいて、それはたぶん、息子を連れていかなければ気づかなかったかもしれない。机に向かっておとなしくすわっていられないとか、歌ったりお遊戯したりしない子はどこにでもいるので、何とも思わなかったかもしれない。アイヴァン(4歳)を、レティ先生はスペシャル・チャイルドと言った。特殊な子だと。そして、特殊な子は、ほんとにどこにでもいるのだ。
発達障害の概念は、ここまで及んでいないようだった。ノーマルかフール(知的遅れがあるかないか)、フールではなさそうなのにノーマルなふるまいをしないアイヴァンは、スペシャル。アイヴァンがスペシャルなのは、一人っ子で兄弟がいないからだろう、と話したりする。私の子どもが発達障害なら、アイヴァンもきっとそうである。それくらいそっくりだったのだが、発達障害という概念が、いまここで必要かどうか、については、考えてしまった。
なくてもいいのではないか。スペシャルな子どもには、スペシャルなケアがすこし必要で、それは、概念があるなしにかかわらず、それぞれの子どもたちに必要なスモールステップを、用意できればいいのだし、パアラランはそれができる。そして子どもはスモールステップをひとつずつのぼってゆけばよいだけなのだ。
で、余計なことは言わないことにした。

4歳の頃の息子が目の前にもどってきたみたいで、私はアイヴァンを見ていることがほんとに面白かった。そういえば、息子が幼稚園の頃、教室を脱走しても、歌を歌わなくても、私は全然心配しなかったな、と思った。
だって私たちの息子なので、歌ったり踊ったり体操したり、たくさんの子と長い時間一緒に過ごしたり、そんな難しいことができるとは、思わなかった。悩んでどうにかなることなら悩んでやってもいいが、どうにもならないことなので、いっさい悩まなかった。
それでも、スペシャルはスペシャルなりに、できることは増えていくので、それはもう楽しいばかりだったのだ。

まわりの子どもに「みんなとちがう」ことを責められ、ぶっ殺す、などと言われるようになってからが、彼の受難だった。障害はむしろ、「みんなとちがう」子どもを許容できず、ぶっ殺すなどと平気で口にできる側のほうにあるのだから、その子たちをどうにかしてほしいと、思ったけど。

アイヴァンそっくりだった私の息子は、3歳半のときに知能テストのようなものの数値が70で、知的な遅れがあるかないかの境目だと言われたが、6歳になったときには、100を超えていた。療育と幼稚園と小学校1年のときの先生にはほんとに感謝しているし、3~6歳の子どもの成長は奇跡を見ているようだった。
だからパアラランのような幼児教育の場はとても大切だと思うよ、という話を、私はレティ先生としたんだけれど、「え、ぼく、そうだったの?」と驚いたのは息子だった。
アイヴァンが自分とそっくりだということは、テレパシーでわかっても、自分の小さい頃のことは覚えていないらしい。たっぷりと話してやったら、他人事みたいに笑い転げてたけど。

ところで、あなたのスペシャルな子どもに、料理を教えたほうがいいよ、とレティ先生に言われたのだった。以前にはレティ先生の次女さんにも言われた。次女さんにはふたりの男の子がいるが、彼らは達者に料理する。あたりまえに家事をこなす。自立の最初はそこらへんから。

息子の、あまりの不器用さに包丁をもたせるのがこわくて、もうちょっと先だ、と思ったのが彼が小学生のときだが、そのあと受験で、そのまま忘れていた。帰ったら料理させよう、っと思って帰国したんだけど、夏休みの宿題あんまりたくさんで、時間なかったな。お米を研ぐのだけはしてもらった。

生まれてはじめて生きている鶏を見たと言われ、ぼくは小さい子との遊び方がわからないと言われ、息子以上に内向的で人間嫌いだった私の、小さかったころと比べてさえ、経験の幅のおそろしく狭いことに、改めて気づかされた旅でもあった。

夏休みが終わって、休み明けの試験も終わって、昨夜、うちのスペシャルな子どもが、パパを相手に、結局夜中2時ごろまで、話しつづけていたのは、マニラで見たあれこれの車のことだった。日本車がどんなにたくさん走っているか、どのメーカーのどんな車種が走っているか。ドライバーがどんな走り方をしているか。あとジプニーについても。
ぼくが見たジプニーはこんなふうにできていた。ハンドルがヒュンダイ、エンジンがフォード、フロントがジープまたは三菱。エンブレムがベンツで、ステッカーがISUZU
よくそんなに見てるな、と言ったら、そういうことは、向こうから目に飛び込んでくるそうだ。息子の撮った写真は、えんえんとえんえんと、車。