注文生産制?

連休前の教室では、男子たちが、「チョコレートほしい、チョコレートください」と、にぎやかだったらしい。
連休明けの教室では、注文を受けた女子たちが、早々と配給をはじめていたらしい。
チョコレートは、家で普通に食べれるし、いらねーよ。そこに女子が介在すると面倒くさい。
と息子は言っている。
「頼んでないの? 頼んだら、だれかもってきてくれるよ」と女子に言われたが、「いいや、結構です」と答えた。その女子、また別の男子(合理主義者、と呼んでいる)にも「あげようか?」と声をかけていたが、合理主義者は「いらない」と断っていた。

注文する男子と注文しない男子がいるのだった。
でもさ、バレンタインのチョコレートって、注文生産制なの? そういうもんなの?

チョコレートつくりたい女子と、チョコレート食べたい男子がいて、まあ、平和にまわってる、わけか。

でも翌日、注文していないのに、息子はチョコレートをもらっていた。なんでも、息子と仲のいいMくんが出した注文をチビちゃんが受けて、つくってもってきたんだが、「チョコレートもらってないひとが一緒にいるのに無視するのはかわいそうだし」で、ついでにくれたんだって。

ほんとに平和にまわってる。

私、チョコレートケーキの注文もらった。息子から。

f:id:kazumi_nogi:20190214044123j:plain f:id:kazumi_nogi:20190214044227j:plain

技術の授業でロボットつくってるらしい。ごく小さい機械が、スイッチを入れると、前に動いたり後ろに動いたり、ぐるっとまわったりする。
それはそれだけでいいはずなんだけど、息子、それにバスのはりぼてをかぶせた。最初は紙製だった。ところが友だちのKくんはプラモデルの戦車をかぶせていた。どうも見劣りがするので、プラ板を切ったり貼ったりして、つくりなおしていた。JRバス。
んー。上手なんだか下手なんだか。こんなことやってるのは、息子とKくんだけらしいけど。センサーが使えるようにするにはどうするか、とか課題もありながら。

バスも平和にまわってる。

 

 

やむにやまれぬ

インフルエンザ猛威で、連休が連休になった。予定されていた休日の授業が中止になったらしく。大喜びの息子は、土曜の朝一番のバスで出かけていった。雪も期待したらしいけど、雪降らなかったけど。
数日前に、先輩から列車の運行時間がメールで送られてきて、それからもう、そわそわそわそわ。といって先輩と一緒に行くわけでなく、ひとりで行ってひとりで撮影して、ひとりで帰るんだけどね。電車に乗ってどこかに行くならともかく、走るのを見るだけって、何が面白いかさっぱりわからん。さっぱりわからんが、出かけて行きたい、やむにやまれぬ気持ちは、わかんないでもない。

海田市駅1番線の早咲きの桜・緋寒桜 - YouTube

同じように電車を撮っていたよその高校生と、言葉すくなに挨拶をかわしたそうでした。

ところで息子、最近気づいたことがある。クラスでにぎやかな女子は、なんといっても洪水ちゃん、ついで、ワクワクちゃん、とでもしとこうか、何かツボにはまると笑い人形になる子がいる。席替えで、ワクワクちゃんが隣になったが、そのとき、え、この人の隣?といかにもつまらなそうな顔をされた、らしい。以来、ワクワクちゃんがなぜか授業中しずかである。洪水ちゃんも自分の隣の席のときは、なぜかおしゃべりが少ない。うるさくないのは、助かるんだけど。

学校でどういう態度でいるわけ?と聞くと、「基本寡黙」と言う。男子の友だちは基本オタク。そりゃわかる。女子とはどういうやりとりするわけ?たとえばノート見せてって言われたら?黙って差し出す。返してもらったら?…無言。
そりゃあつまらん。チッ、とか舌打ち聞こえてきそうだよね。「それだよ、それ。ぼくは休んでた子にノート貸してあげたのに、返すとき、何か不満そうなんだよ」
いやいや、あんたが、ものすごくつまんなそうな顔してるんだって。

「だって、何話せばいいかわからんやん」と言う。そりゃまあそうだ。

不機嫌そうな男子である。つついたら、にゃあ、と鳴くことは、いまのところ、私しか知らない。

 

 

 

 

週末

土曜日、息子は「メンタルこわれるの模擬試験」など受けに行った。難しいやつらしい。親は模擬試験代をもっていかれて財布がさむい。数学は40点はある、とか言ってるが、それ以上はなさそうかも。前回は20点台だった記憶だ。

テストの内容が数Ⅰと数Aだったというから、日曜日、センター試験の数学をやらせてみた。数1Aは51点。でもそのあとやった数1は91点。わかっているのかいないのか。私は、むり。不戦敗。

でもまだ、中三生なんだよなあ。なんでこんな難しいことさせられてるんだろう。

夜、ビーフストロガノフというものを食べたい、と言う。そいつ何もの。牛肉の残りがあったので、手伝わせてつくる。できたものを、本当はなんて呼ぶべきかわからないが、ふつーにビーフシチューっぽいが、写真も撮り損ねたが、何か美味しいものができたので、満足な週末でした。

花咲く乙女たちの

本棚の奥の奥のほうの埃のなかから探しだした。なつかしすぎて、さわる指がふるえそう。

f:id:kazumi_nogi:20190202004420j:plain


1月29日に橋本治さんが亡くなったという記事を見た。高校生のとき好きだった。
あの頃、「だっくす」のちに「ぱふ」という漫画専門誌が出ていて、なぜか四国の田舎で買うことができた。漫画評論というものをはじめて読んだ。橋本治さんの連載は、「だっくす」に載っていた頃から読んでいて、それが本になるというので、たぶん注文して買った。
『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』を、私は号泣して読んだ。あの本は特別だった。本を買った本屋のことも、本を読んだ狭い板の間の勉強部屋のことも思い出せる。あの本が、教えてくれたのは、私には、私の、コトバがあるかもしれない、ということだった気がする。
大島弓子の「バナナブレッドのプティング」と「綿の国星」のくだりあたり。
受け取ったのは、簡単に言えば、「私は私に」という、短い言葉であったと思うのだけれど、たったそれだけで、15歳か16歳だった私は、大泣きすることができたのだ。たったそれだけの言葉が欠けていたのだ。

あのときはほんとうに、お世話になりました。本当にありがとうこざいました。

そういえば、高校の修学旅行で、東京の自由行動で「ぱふ」の編集部に行ったのだった。新宿のどこだかわからないどこか。アパートの一室だった。お菓子もらって食べた。この子たち何?みたいなことだったと思うんだけど、ほんとに、挨拶もできない子どもだった。

キンピラゴボウの前編と、「だっくす」の樹村みのり特集は、友だちに貸したら返ってこなかった。高校を卒業してしまうと、会うこともなかった。20年もそれ以上も過ぎて、はじめて同窓会に帰ったときに、彼女が亡くなっていることを知った。詳しい消息は誰も知らなかった。貸した本はもう帰ってこない。そのあと、ネットで古書を探して、買いなおした。何を、呼び戻したかったのか、わかんないんだけど。

千秋ちゃんとは、たまに本が、行ったり来たりするだけで、ほとんど何も話したことはなかった。言葉を交わせる友だちのほかに、言葉を交わせない友だち、もいたのだ。

高校まで暮らしていた家もなくなり、商店街にあった本屋もなくなり、もうすべて、私の記憶のなかにしかない、ということが、どうにも納得しがたいんだけど。ほんとうに消えてしまった。


いまも春になると、花の名前を唱えて「なんてすごい、なんてすごい季節でしょう」と脳内ナレーションが流れる。あの本の最後のほうのページに、まるごと引用されていた「綿の国星」の場面。

話変わって古今和歌集。NHKブックス『「古今和歌集」の創造力」』面白かった。紀貫之は天才だよねと今更ながら。

「桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける」(紀貫之

「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして」(在原業平

ピアノの音

土曜日、雪。雪のなか、英検受けに学校に行った息子は、こっそりビデオカメラをもっていって、帰りに、近くの駅で、雪のなかを走る電車、を撮っていた、ことが翌日判明。インフルエンザも流行っているし、寒いから、寄り道せずに帰れと言われたから、黙って寄り道したのだった。

f:id:kazumi_nogi:20190128033529j:plain f:id:kazumi_nogi:20190128033600j:plain


日曜日。ピアノのコンクールだった。小学校2年からとびとびで6回目くらいの。中学生までなのでこれが最後の。
シューベルト作曲リスト編曲「ます」。
夏に息子がこれを弾くと言って、そりゃまた難しそうなものを、と思っていたら、秋に、ピアノの先生がこの曲でコンクール出ましょうか、というので、それは無茶です、と思った。2週間前までやっぱり無理なんじゃないの、と思っていたけど。指だって届くか届かないかぎりぎりで。
なぜか、彼はいつも、誰より難しい譜面を弾いて、壮大な中途半端で終わる。…でも、よかったよ。

友だちのYくんの演奏を、私たちは大好きで、久しぶりに聴けてうれしい。彼は現代音楽だったけど、何を弾いてもYくんの曲になる。ほかの子たちの演奏が退屈になる。
もうひとり印象的だったのは、いつも賞をもらっているような女の子で、低音の響く魔王みたいな曲に、怒りや悲しみの感情をのせてくるのが、心臓に痣が浮きそうだった。憑依型かな。黒いドレスだったので、カラスの呪いと名づけましたが、そのあとに弾く人がかわいそうだと思ったら、うちの息子だったわ。
よく耐えて弾いていた。そのあとが、超絶マイペースのYくんだった。
この3人、同じ楽器を弾いているとは思えなかったな。

いつも息子のしか聴かないけど、こうしてほかの子たちのと一緒に訊いてみると、いろいろと面白い。Yくんの音と息子の音は全然似てないけど、どちらも独特で、どちらも聴きやすくて、私は好き。たぶん、ふたりの聴覚過敏の耳がつくっている音だからかもしれない、と思った。聞いていて疲れないのだ。たぶん、自分が聞いて疲れない音を、探し当てているのだろう。
 
子どもたちの演奏聴きながら、個性、について考えた。

とても楽しませてもらった。

緑の指

チューリップの球根100個、届いた。たぶん、10個だったら買わなかったんだけど、100個だったので買いました。安かったし、楽しそうで。

f:id:kazumi_nogi:20190126054712j:plain

でもそんなに植えられる場所もないので、お隣に半分もっていった。お隣の奥さんは、私と違って、畑の手入れをちゃんとする。留守だったので、ドアにかけておいた。
すると翌日、お隣の奥さんがハムを差し入れしてくれた。
「チューリップ植えて」って言ったら、「あんただと思った」と言った。

私も残ったチューリップを植える。
庭の隅とプランターに20個ほど。ところがまだ50個ほどある、ということは、100個以上あったのだ。
畑に植えに行く。
寒くなってから、全然畑に行ってなかったんだけど、行ってみると、ニンニク畑が消えている。雑草におおわれて見えなくなっているのだが、まともに育ってない。まずいな。
ニンニクは強い子なので、私がどんなに怠けものだろうとそれなりに育ってくれて、1年間ニンニクを買わずにすむくらいは採れるんだけど、今回は無理かもしれない、、、ほんとに全然育ってない。

技術家庭の宿題のラディッシュを枯らしていた息子は、「ぼくには緑の親指がないのかもしれない」とレポートに書いていたが、きみの母にもなさそうだよ。
ニンニクさえ育てられないようなら、家庭菜園なんて無理でしょ、と思うのだが。
せめて草ひきする。

同じ管理放棄地なのに、隣の畑は白菜育ってる。玉ねぎも植えてある。お隣の奥さんはしっかり世話していて、えらいのだ。去年、お隣からもらった玉ねぎが、まだ段ボールにたっぷりある。
私の畑は、イチゴとブルーベリーのほかに育ってくれるのは(つまり放っておいても育ってくれるのは)ニンニクしかないんだけど。ごめん、たぶん私が、いくらなんでも怠けすぎのせいだなあ。

で、3日間ほど、天気もよかったし、午後すこしずつ草ひきして、あいたところを耕して、チューリップも植えた。

それでいま、めちゃくちゃな筋肉痛と腰痛…なんだけど。
でもなんか、すごくぜいたくで楽しい気持ちだ。チューリップ100本咲くと思ったら。

緑の指。子どもの頃、垣根の葉っぱや道端の草をちぎりながら歩く癖があって、気づくと指がいつも緑色になっていた。私だって、緑の指はあったのだ。チューリップ、咲かせられると思うんだけどな。

 

 

正しい休日の過ごし方

通っている学校の入試のために、息子は、金曜午後から火曜日まで4・5連休だった。4日間毎日必ず、昼まで寝ていた。正しい休日の過ごし方。
ふだん、絶対寝不足だと思うもん。

どこにも遊びに行く予定もなく、ずっと家にいるので、毎日ごはん作ってもらうことにした。好きなものつくっていいよ。金曜日チャーハン。日曜日、鶏と大根の炒め物とみそ汁とサラダ。土曜日、麻婆豆腐つくったけど、写真撮り忘れ。
月曜日は牛肉炒めで、火曜日は豚肉の生姜焼き。

f:id:kazumi_nogi:20190124034103j:plain f:id:kazumi_nogi:20190124034257j:plain

(ぼくは県外に出たい)と、ときどきひそかに思うらしく、料理はできるようになりたいので、素直に挑戦している。いいことだ。
これ以上、簡単にできないくらい簡単な料理しかしないので、母を超えるのはたやすいことだと思うよ。

学校は休みだけを与えてくれたわけではなく、宿題たくさんあるので、せっせと片づけていた。英検とピアノのコンクールも迫っているので、過去問やったり、教室にピアノを弾きに行ったり。弾きあぐねていた曲が、ようやく弾けるようになって、すこしほっとしている、か。

さてそれで、センター試験の英語に挑戦していた。146点(200点満点)だって。中3で7割3分とるのか…。私の共通一次の本番がそれくらいだったと思う。息子、英語苦手じゃなくてよかったよ。私は去年5割とれなかったので、もうやらない。
私に似なくてよかった。中学に入学したとき、私はアルファベットが覚えられなかった。鏡文字になってしまう。子音だけの発音が、不安で受け入れられなかった。そこで躓いて、そのまま成績は低迷した。いいんだ、わたし外国になんか行かないし、英語なんかいらない、と思っていたのに、
気づけば毎年、フィリピンに行く人生なのだから、何が起こるかわからない。英語の不自由は絶対ある。不自由なままで25年間……。
私みたいにならないように、息子には、彼がひらがなをおぼえた2歳か3歳のとき、ついでにアルファベットも教えた。英語のDVDも見せたが、子どもたちが喋ったり歌ったりする音が嫌で、耳をふさいで逃げ出してしまうので、それは聴覚過敏の発見に役立っただけだった。
あとは中学生になってから自分でがんばったと思うんだけど、とにかく、母に似なくてほんとによかった。

ついでに書くと、国語90点(200点満点)。国語ぐらいは教えられそうなので、家庭教師した。古文と漢文、「声を出して読むと、すこしわかるような感じがする」と言う。それは私も。でもまあ、試験のときに声出せないからね。息子がどこでどうまちがってしまうのか、それが自分ごとのようによくわかるので、面白かったわ。
評論文の翻訳の話、「娘が父親にいう「I love  you」は、ぼくの場合だと「にゃーん、にゃーん」になるのかな」というのがおかしい。たしかにそうですね。
「にゃーん、にゃーん」と彼は鳴く。

 

国語でしょんぼりだった息子は、地理でリベンジをはかる。70点。
私も70点。息子に負けなかったのがめちゃ嬉しい。息子は去年も70点だったが、私は去年は50点台だった記憶だ。

そんなこんなで、4日間、息子と一緒に料理したり勉強したり。
日曜は、町内会の総会だったので、書記したり、そのあと飲んだり。

正しい休日の過ごし方、だった。

で、4日休んで気力体力充実していたのに、学校から帰ってきた息子は、またいつもの疲労感を漂わせているのだった。
荷物重いし、持久走の季節じゃあるし。