「いちぢくの葉」

 昨日は1日じゅう雨だった。庭や向かいの森の紅葉が、雨に濡れて、体に染みとおってくる気がした。なんでもない景色が、きれいだ。
 子どもはピンクの傘を半ばひきずるようにしながら、長靴で水たまりのひとつひとつをびしゃびしゃ踏みながら、ほんの近所に行くのに、たっぷり時間をかけて、歩いた。雨の散歩もそれなりに楽しい。
 
 昨日、23日は母の命日。もう25年目の。
 
 夕方、母が、大きな声で、表の道から家のなかにいる私を呼んだことなど思い出す。いったい何ごとだろうと、外に出ると、空を指さして「見てごらん、夕焼けがきれいよ」と言うのだった。それは見事な夕焼けだったけれど、夕焼け以上に心に残ったのは、空をさした母の指。
 それから1年か2年のうちに母は死んだのだけれど、私のなかの母は、何よりも夕焼けを見せてくれた人、美しいものを教えてくれた人としてある。母をそのような人としておぼえていられることを、とても幸福と思う。
 
 死ぬ前、もう何にも食べられなくなった母が、メロンを食べたがった。季節はずれの果物は高かった。
 私や弟を産んだときは、しきりにイチジクを食べたがったらしい。これも季節はずれでどこにもなかったらしいけれど。
 
 中原中也の詩を思い出す。
 
 「いちぢくの葉」
 
なにもかも、いはぬこととし、
このゆふべ、ふきすぐる風に頸さらし、
夕空に、くろぐろはためく
いちぢくの、木末 みあげて、
なにものか、知らぬものへの
愛情のかぎりをつくす。