ひろしまじゃない

深夜、映画「原爆の子」(新藤兼人監督)をテレビでやっていて、寝かしつけに失敗したので、もういいやと思って放っておいた子どもと一緒に観ていたら、
「ここはひろしまじゃないよ」とちびさん言う。
「広島だよ。原爆ドームあるし。今日、見に行ったでしょう」
「でも、でも、これは、せんそうだから、ひろしまじゃないよ」
 (戦争、なんて言葉、いつのまに覚えたのか)
「戦争だから、広島だよ。原爆が落とされたあとの広島」
「ちがうよ。せんそうだから、ひろしまじゃないんだよ」
 (ちびさん、ほとんど泣きそうである)
「わかった。これは昔の広島で、今の広島じゃないよ。今の広島じゃないから、大丈夫だよ」と言ったら、すこし安心した顔をした。
「どうして、まちが、こわれてるの?」
ピカドン(映画のなかで使われていた言葉)が落ちたから」
「どうして、ピカドンがおちたの」
「戦争したから」
「どうして、せんそうしたの」
「どうしてかな。大きくなったら、一生懸命考えなさい」
 (ようやく、ちびさんの、どうして攻撃がおさまる)
まだ若い乙羽信子さんが、幼稚園の先生役で、昔の教え子を訪ねて歩く。ひとりの男の子の父親が原爆症で亡くなる場面があったのだが、ちびさんが、「ママ、ねて」と言う。寝転んだら、私の腹に顔を埋めて「おかあちゃあん」と泣き真似する。いま見た場面を再現しているんでした。起き上がると、「また、ねて」と、何回もやっていた。
そのうち、ちびさん寝た。

きみは、広島に生まれたから、他の土地の子どもよりは、原爆の話を聞くだろう。宿命みたいなもんだ。それは聞かなければならないし、伝えなければならないんだが、どんなふうに、私たちは伝えていけるだろう。
「せんそうだから、ひろしまじゃない」って、言えればいいのに。
でも、これからはきっと、そうだよ。

「二十万の亡霊」という作品も放映されていた。どこかで見たことがあると思ったら、これは、先日友人がくれたDVDだ。フランス人の作品で、原爆ドームの、過去から現在までの写真を次々に重ねて見せる。破壊と復興の街の変遷が、詩的なイメージでつづられていた。周囲の景色は変わるのに、原爆ドームだけが、あの日のままの姿であることの、凄さ、なんていえばいいのか、とにかく凄さ、を感じさせられる映像だった。静かな、写真を積み重ねただけの映像なんだけど。
最後にスタッフのひとりとして友人の名前が載っているのを確認して、寝た。

↓「二十四時間の情事」(1959年)原作は、マルグリット・デュラスヒロシマ私の恋人」。当時の広島の町の映像が興味深いです。映画には「Tea room どーむ」という名前の店が出てきたりしてたけど、本当にあったのかな。原爆ドームの近くに、どーむ、という名前のお店。