SUNRISE SUNSET

パアララン・パンタオで撮ったビデオを見たら(太田君が撮ってくれたのだが)、グレースが私のことを「アテ・カズミはkiddyだ」と言っていて、かるーくショックだ。kiddy、子ども。

はじめて会ったときグレースは5歳で(いまのうちのちびさんとかわらないじゃないかあ)、まくら投げして遊んだ。それから年齢を重ねて、手足の指を使って算数をしていたり、一緒に屋根にのぼったら騒ぐので叱られたり、アルファベットの暗号を考えて、その暗号で日記を書いていたり、好きな男の子の名前が変わったり、していたが、いまや19歳になって、ほんとにきれいなお姉さんになった。ハイスクールの4年生。フィリピン大学ほか、大学の試験を3つ受ける、という。
第一志望はアナウンサー。第二志望は、小学校の英語の先生。

マスコミ関連は、ストレスがかかるから心臓によくないと、家族は反対しているが。

滞在中、グレースの入試の問題集を解こうと試みたが、無理。問題の英文を理解するのでつまずき、数学なら数字だからなんとかなるかと思ったが、なんともならず。サインコサインなんてもうなんのことだか忘れてるし。簡単な分数の計算を解くのに1時間もかかるありさま。
私が問題集ととっくみあっている間、グレースはボーイフレンドと電話していて、私が問題集投げ出したあとも、まだ電話していた。

昔、グレースの医療費の寄付を、市庁舎にお願いにいくために、レティ先生が書いた文章がある。生まれて間もない赤ちゃんがごみ袋に入れて捨てられているのを、ゴミ拾いしていた人が見つけて、レティ先生のところに連れてきたこと。瀕死の赤ちゃんを、ゴミのトラックの運転手を説得して、ゴミのトラックに載せて病院に運び、一命をとりとめたこと。その子にマリーグレースという名前をつけて養女にしたこと。2歳のとき、グレースの心臓に穴が開いていることがわかり、2か月に一度ずつ病院に通っていること、手術が必要だが、お金がないこと。

11歳のとき、ついに手術が必要になり、日本で寄付を募った。助けてくださったみなさま、ありがとうございます。

手術のあと、グレースはぶくぶく太り、これでは手術の縫い目が破裂してしまうんじゃないかと、医者に言ったら、それは薬の副作用です、と言われたとか、笑い話みたいにレティ先生言うんだけれど。
あれからグレースは、小学校に通い、ハイスクールに通い、将来の夢まで語る。なんだか、すごい。
命がいつまで続くか、はわからないけれど、それはみんな同じだ。

つきつめれば、人生は、希望をつくるか絶望をつくるか、ということになると思うけれど、つくづく、レティ先生は希望をつくる人だと、思う。
マリーグレース、という希望。
 
生きよう、と思ったのだった。5歳のグレースと一緒にごはんを食べながら。

この人たちに出会えてよかった。

古い校舎で使っていた、大きな低い木の机が、エラプ校にあってなつかしかった。以前これは、パヤタス校の小さいクラスの生徒たちの机だった。夜になると、この机がグレースのベッドになった。蚊帳をつるして、シーツにくるまって寝た。グレースと一緒に寝たとき、彼女は回転しながら寝るので、一晩に2度も顔を蹴飛ばされた。(ことを、何年も何年も繰り返し話しては笑った)。
それから小さなクラスの子たちと私と、机に乗って大騒ぎして遊んでいたら、脚がとれてしまったことがあった。それをなおしたあともあった。

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