幽霊

「物語を書くということはその本質において、幽霊とともに生きるということ。私たちが召喚したり、作り出したりした、あるいは私たちがよく知っている幽霊とともに。私が思うに、物語を書くということと幽霊を召喚するということのあいだに、さして大きな違いがあるわけではない……。」

「おそらく私たちの心の中で、死者と生者を分かつ線など、ひとが想像するほど決定的なものではない。[…]生きているのに、私たちの心の中でとうに死んでしまった者もいれば、私たちの内部で、かつて彼らが死ぬ前にそうであったような姿で依然、私たちのまわりを動き回っている者たちもいる。私たちはまだ、心の奥底で、彼らに死を告げていないのだ。
 夫がその土でできた殻を抜け出してから(彼が死んでから、なんて私は言わない)、死者と生者を分かつ線など、私たちが人生で決定的なものだと主張したがるほかの事柄と同じように、想像上のものにすぎないのだと気がついた。」
     ガーダ・サンマーン「書きとめよ、私はアラブ女ではない」

 今読んでいる本『アラブ、祈りとしての文学』(岡真理 みすず書房)に引用されていた一節。




 幽霊が出てくる物語といってまず思いだすのは、絵本で読んだ『クリスマス・キャロル』。それからアメリカの黒人女性作家トニ・モリスンの『ビラヴド』。
 逃亡黒人奴隷の女が、逃亡の途中で(白人捕獲人の姿を見たとき、自分が受けた屈辱をこの子に味あわせたくないと)、殺した2歳の愛娘の墓標に刻んだ言葉がビラヴド。be loved。愛されし者。
 そのビラヴドが少女の姿をした幽霊になって戻ってくる、という話。

 私が見た幽霊は、2000年、ゴミの山が崩落して、数百人が犠牲になった惨事の2週間後、ゴミの山の学校に滞在していたときに。
 早朝、目をさますと、何人もの小さな透明な子どもたちが、部屋のあちらこちらで、何かを一生懸命にさがしていた。声を出すと驚かせてしまいそうで、教室は向こうだよ、レティ先生も向こう。声に出さないで言うと、小さな透明な子どもたち、すうっと消えていった。
 学校の子どもたち23名が犠牲になった惨事だった。遺体も収容されなかった。

 世界は、生きている人たち、死んでいる人たち、幽霊たちが一緒に生きているところなのかもしれない。