立春

昨日は節分。だったのだと思う。
ちびさん、幼稚園から鬼のお面で帰ってきた。

今日は立春。なのだと思う。
お天気専門チャンネルとちびさんが言っていた。

「ママ、おいしいごはんつくらないと、ママを食べちゃうぞ」
などと言う。
うるさい。おいしいごはんをつくらないママを選んでしまった自分の不明を恥じよ。



『アラブ、祈りとしての文学』岡真理(みすず書房
読了。これはすごくいい。
ひとつひとつの文学作品に分け入っていく楽しさは、見知らぬ路地に迷い込む楽しさ。アラブ世界への一面的な理解が覆される。(一面的な理解、などというのは、所詮、誤解にすぎないが。)
そうして、本を閉じてみると、ものすごく困難な問題に触れながら、ものすごくシンプルに大事なことを語っているのだとわかる。

たとえば母親に殺された赤ん坊のこと。
アウシュビッツへ向かう列車で、あるいは、イスラエル建国により故郷を追われたパレスチナ人の死の行進のさなかに、母の胸で窒息した赤ちゃん。泣き声をあげさせないために沖縄の壕で殺された赤ちゃん。満州からの引き揚げのときに同じ理由で殺された赤ちゃんもいただろう。

子どもたちは、ユダヤ人として、あるいはパレスチナ人として、あるいは日本人として、死んだのだろうか。赤ちゃんは自分が誰かを、知っていただろうか。

そのように死をつないでゆくこと、生を、路地をつないでゆくこと。



赤ちゃん。20年前、フィリピンのゴミ山に捨てられていた赤ちゃんが5歳くらいのとき、路地の人たちは言っていた。この子は色が白いし、顔も日本人みたいだ、きっと父親が日本人だよ。韓国人も多いから、父親は韓国人かもしれないよ。赤ちゃんのパパとママが誰かなんて、もう絶対わからないのだが、赤ちゃんは育てられて、20歳になった。
赤ちゃんの名前は「神の恵み」。

幸せになれ。



「詩のテラス」に河津さんが書いてくれています。
「出会いとしての言葉」
http://maruta.be/terrace_of_poem