「悪の華」

ボードレールの「悪の華」は中学2年のときに読んだ。何が書いてあるかわかんないが、くらくらした。

  地図や絵草紙に憧憬れる少年の心にとつて、
  世界は彼の広やかな野望と変らない。
  ああ! ランプの光の下ではなんと世界が大きいことだ!
  思ひ出の目から見ると、なんと世界が小さいことだ!
                  (堀口大学訳)

というところとか。

    わぎ妹子よ、わが恋人よ、
    思ひみよ、その楽しさを、
  もろ共にわれ等ゆき、かの国に住み!
(略)
  ああ、かしこ、かの国ゆかば、ものみなは、
  秩序と美、豪奢(おごり)、静けさ、はた快楽(けらく)。

というところとか。
そのあと「巴里の憂鬱」を読んで、泣いたのがなぜかわからないが、あれから、窓、というものがせつないものになった。

 「開け放たれた窓を外部から見る者は、閉ざされた窓を透して見る者と、決して同じほど多くのものを見ない。蝋燭の光に照らされた窓にもまして、奥床しく、神秘に、豊かに、陰鬱に、まどわし多いものはまたとあるまい。白日の下に人の見得るものは、常に硝子戸のあなたに起るものよりも興味に乏しい。この暗い、または輝いた孔虚(うつろ)の中には、人生が生き、人生が夢見、人生が悩んでいる。」
                     (三好達治訳)

 いつか、巴里の憂鬱みたいな本を書きたい、と思ったのだった、そういえば。15歳のとき。今、本(新潮文庫140円)をひっぱりだして、いきなり思い出した。今の今まで忘れてた。ああ、すっかり。
 もしも、忘れずにずっと覚えていたら、すこし違う人生だったかしら。そんなこともなかったかしら。なんにしても、あれからずいぶん人生は過ぎてしまった。


 それはそうと、ボードレールの「悪の華」とは、ケシの花のことらしい、とは、たった昨日知った。

ケシ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%82%B7

というのも、近所の畑やプランターに、あへん法で栽培が禁止されているケシの花が、あちこち咲いているという話を聞いたので、調べてみたのだった。
自生しているらしいが、この数年増えてきたらしいのは、温暖化と少雨の影響もあるのかな。見つけたら、届け出る義務があるので、駐在所に行ったら、若い警官は何にも知らず、じゃあ、抜いといてください、ということだったらしい。で、抜いたのだろう、咲いてるところをパパは見たが、私は見ていない。

近所に咲いていたのは、アツミゲシ、というケシ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%84%E3%83%9F%E3%82%B2%E3%82%B7

ちなみに、うちの庭に勝手に咲いているのは、ナガミヒナゲシ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%AC%E3%83%9F%E3%83%92%E3%83%8A%E3%82%B2%E3%82%B7

さわると、たちまち花びらが散ってしまう、はかないやつ。



ちびさん、昨日はお風呂で▲。
めまいしそう。

言わないよ。もちろん黙っとくよ。

こでまり、花盛り。
なんにも手入れしない庭だが、1年で一番きれいな季節になった。