ゆめのうちなる

夢。
この世を夢と思うとき、たちまち思い出すのは、たとえば閑吟集の次のような歌。

 よし それとても春の夜の ゆめのうちなる夢なれや
 ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡  
 夢幻や 南無三宝 
 くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して 
 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ 

いまさら何を、と思いつつ考えている。「一期は夢」というのはほんとうにそう思ったのだ。「ただ狂へ」の正当化のために「一期は夢」などと言ったのではなく、ほんとうに「一期は夢」という認識があったのだろう。

死者になれば、この世のことは、思い出せない昨夜の夢のようだろう。
死者にとって、私は、思い出せない夢のなかの人物である。
思い出せない夢のなかの私は、存在したのかしなかったのか。
しかし死者に忘れ去られながら、私はなお存在をつづけている。

私はこんなに、死者になったなつかしい人たちのことを思うのに、死者たちは、私をもう忘れているだろう、という片思いに気づいたわけだった。

死者たちの昨夜の夢のなかで、まだ遊びつづけている私は、だれか。

この世は、死者たちの昨夜の夢の野原である。
死者たちの夢の野原に、子どもはやってきて遊ぶ。遊び疲れて眠る。眠って夢を見る。
なんの夢を見ているだろう。

5歳のときに見た夢をおぼえている。
町がおばけ通りになって、傘おばけとかいろいろ歩いているんだが、母さんがおばけに連れられていってしまう夢だった。
泣いた泣いた。
それから13年後、母さんは死に連れられていったが、死んだ母さんの前世の夢のなかに娘の私がいたのは、たった18年である。その夢を母さんはもう覚えていないだろう。
でも、この世という、死者たちの前世の夢のなかにいる間、私は何十年でも母さんを覚えつづけているわけだ。(忘れる病にならずに生きているとしたら)

あらためて気づくとあらためて驚く。母さんも、こないだ死んだ兄やんも、今ごろ私をおぼえていないのだ。すこし怒りたくなる。
でも、私も死んだあとは、うちの男の子たちのことを、さばさばと忘れるだろうな。忘れると思う。

しかしながら一期は夢のはかなさを、永遠とも呼んで、この世もあの世も成り立っているのだろう。

不易流行、と芭蕉も言ったし。

ちびさん、椅子の上で図鑑を開いたまま居眠り。「橋とトンネル」のページ。何が面白いんだろうなあ。

どんな夢のなかにいるんだろう。