あの庭のどくだみの花のことなど

  あの日は雨 下宿の庭のどくだみの白い十字の花が濡れていた

と(何年か前に)書いたとき、あの日、とはなんの日を想起して書いたのか、今さっぱり思い出せないのだが、下宿の庭のどくだみのあざやかさだけは、今もありありと思いだせる。大学の2年目だった。たった3か月だけの下宿先。何年か前に、そのあたりを通ったとき、気になって探してみたが、あたりはすっかり変わっていて、あの古い木造2階建ての民家も見当たらなければ、それがどの場所だったかもわからなかった。

庭があって、庭にゴエモン風呂があって、月に一度、1週間の風呂当番があって、風呂焚きは、わりと好きだった。雨が降るときは、傘さして焚口からオガライト(おがくずをかためたもの)をくべたのだ。
見つかると話がもう、とーっても長かった大家の小石ばあちゃんも、たぶんもうとっくに亡くなったろう。

大学の最初の1年は、寮にいた。寮費100円はすばらしかったが、私たちが入った年から、電気水道料の徴収がはじまった。(ということはそれまで払わずにいたのだ。支払に反対するかしないかという話し合いが、入寮したらいきなりあったのだった。)木造2階建ての寮の1階。2人部屋だった。最初の数週間で、精神がどうかなってしまいそうなほど、苦しくなったのが、共同生活のストレスからだとは、気づかなかったが、ひとりになれる場所、を探して彷徨していた記憶がある。
大学に行っても、寮に帰っても、バイトに行っても、いつも誰かがいる、それで息ができなくなりそうだったのだ。
ついに川に出て橋の下にもぐって、煙草を吸う、というようなことをするようになった。
門限が12時で、間にあわないということもよくあり、帰る場所がない、という気分は、たぶんあの頃からのものだな。

大学も移転したので、その寮もとっくにない。
談話室の押入れには、学生紛争のころからの寮生のノートとか残っていたが、どうなっただろうな。
隣の男子寮で(こちらは鉄筋、寮費300円だった)首つり自殺があったとき、大学の学生科の人だっけかな、座布団を借りにきた。お通夜なのに座布団もない、と言って。あわてて座布団を探して渡した。5枚ぐらいはあったのかな。
私の部屋の窓は、どっかから飛んできたボールで、窓が2枚も割れていて、でもそういうことを、どこに言っていけばいいのかわからなくて、どこかに言いに行くということさえも思いつかなくて、黙って段ボールを貼って過ごしていた。(何年か後には、サッシの窓になったはず)

1年たったとき、金はなかったが、それでも寮は出よう、と思って、引っ越したのが、庭にどくだみの咲いている下宿だった。近くの小学校で、リヤカーを借りて、引っ越した。そういえば。

誰もこないところ、知っている人のいないところに行こう、と思って引っ越したのに(そう思って、大学進学のとき、海を渡る決意をしたのだ、そういえば)隣の部屋は同じ学科の女の子で、しかも私が寮を出たもんだから、夜ごと夜ごと、誰かれとなく遊びにやってきて、にぎやかなので、大家さんに怒られたりして、ここは男子禁制だとか他の下宿人にも言われたりして、(すると、私はここにいてはいけないのだというような気持になって)3か月で出ていくことになったのだったが。

何も私が出て行かなくても、そんなわけだから、遊びにこないでって言ってもよかったのだと、そういうことに気づいたのは、ずーっとあとだ。あー、でも小石ばあちゃんのお説教は苦手だったかも。

この季節になると、あの庭の、どくだみの花を思いだす。雨の休日に窓から眺めた。あの白さがほんとにきれいだった。

あの日、何があったんだろうなあ。


庭のどくだみ摘んで干している。