ようやく人間に

火曜日の自閉症講座のあと、老人ホームに沼田先生を訪ねた。
入口で、スタッフの人に短めにお願いしますね、30分ぐらいで。って言われちゃった。それで30分でおいとましようとしたら、いいのよいいのよって、さらに10分ぐらい。
不幸が、人間の心を悲惨にしてゆくこと、被害者意識の不幸というか、そういう話になって、被爆の土地で、広島の加害責任を訴えた小林先生(私の学生時代の恩師)もすごいけど、それを受け入れた沼田先生もすごいことだなあと思う。
沼田先生、いつもいつも出会いへの感謝を語られるのだが、「出会いがあって、学ぶことができて、ようやく人間になることができました」と言われたときには、戦慄した。
「ようやく人間に」
すごい言葉だなあ。

子どものころ、「妖怪人間ベム」というアニメが大好きだったが、あの「はやく人間になりたい」という言葉は、いまなお切実なものに思える。
人間のかたちをしているということは、人間になる可能性があるということにすぎないのかもしれないのだ。その可能性がすばらしいのだが、はじめっから、すばらしい人間ではないのである。

考えてみれば、魑魅魍魎というものは、必ず人間のかたちをしているのだし。いやほんと、はやく人間になりたい。