「あたし研究」

「あたし研究 自閉症スペクトラム~小道モコの場合」
絵と文 小道モコ かもがわ出版
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032325082&Action_id=121&Sza_id=C0&Rec_id=1008&Rec_lg=100813


おもしろーい。
100ページあまりのうすい本。絵がとってもかわいい。わかりやすい。明るい。


「どこに所属しても、どこか場違いなような気持ちがありました。
学校に行っても上手になじむことが難しいし、家でも家族の一員としてウマクやっていけている気がしませんでした。(略)
たぶん、そう感じていたのは、イロイロな場面で大人から「なんでキミはそうなの?」「どうしてキミはこれもわからないの?」と言われ続けてきたからだと思います。「なんで?」「どうして?」と聞かれるたびに、真剣に考えましたが、答えは見つかりませんでした。わかったのは「どうやら私はみんなのように、ウマクやっていけてないらしい」ということだけでした。」

ほんとうにそうだったわ。どこにいてもいてはいけないところにいるような感じ。そしてそれがなぜなのかわからない。

「人生の目的は「あてはまるコト」ではなく「自分らしくいられる」ことなんだよ。」

と気づけるまでの間が、さらっと楽しく書いてくれているけど、いやいやどれほど大変だったろう。
もちろんアスペルガーといったって、十人十色千差万別なんだけど、ざっと共感したところをあげてみると、


「よく転び、よくぶつかる」

私はいまだによく転ぶ。ついこないだも、ひとりで道を歩いていて、歩道から車道に降りるときに、すこしの段差で転んで、寒くて痛かった。
高校のとき学校指定の靴が、少しかかとがあって、それで一週間毎日転んで、あれ以来こわくて、かかとのある靴がはけない。

膝にはころんですりむいた瘡蓋がいつもあり、その瘡蓋をひっかく癖が止まらないので、私の右膝にはいまも10歳のときからの瘡蓋の後遺症がある。もうすっかり皮膚が変質している。(見てはいけない。)

ぶつかるのもよくぶつかる。人ごみで、ぶつからないということはありえない。背中にリュックなんかあったら、背中は見えないので、リュックをどこにぶつけてしまうかわからない。今でも家族で街に出ると、パパにまわりを見てない、と不注意を叱られる。ので子連れの外出はきらい。子どもを見失わないだけで精一杯で、くたびれはてる。


「私を含む、多くのASDの人たちは意味や理由がわからないと、混乱します。だから、いつでも「どうして? なんで?」をかかえながら生活しています。
 でも、怒っている人というのは「なんで怒っているの?」または丁寧に「どうして怒っているのですか?」と聞くと、私の経験上、99%、さらに怒ります。私は理由を知りたいだけなんですけどね。」

これはもう、笑って笑って涙が出てきたわ。いや、ほんとにそう。「なんで?」と聞くからもっと怒らせるのだとは気づかないから、どんどんわからなくて、「なぜ? どうして?」とどんどん聞き続けて、どんどん怒らせて憎まれて、こちらもとってもこわくてつらくて、でも我慢して、なんとか理由をわかって解決しなきゃ、と思う、ついについに、あ、これは感情の問題なんだ、それもあんまり楽しくない、あんまりよいものでもない感情の問題なんだと、ようやく気づいて、その発見の喜びで、「ああそうなんだ、ばかばかしいなあ」とか言っちゃうから、ますます怒らせて憎まれて、もうわけがわかんない。

最近ちびさん、私に怒られると「なんで怒るのよ!」と怒るわ。自分の声がエコーでかえってきたみたい。で、「おまえがうるさく話しかけてくるから! しずかにしてほしいの!」と素直に理由を言ってしまう私。あんまり理解していないちびさん。
「わかったよ。それでママ、○×▽#$%&………」
いーのだろーか。

「最近まで、自分がいじめられていた記憶はありませんでした。(略)
 でもよく思い出してみるとありました。
 それが「いじめ」だとは思っていなかったんです。
 だから、親や先生に相談したことは、一度もありません。
 なにせ、世の中/人生そのもの/日々、わからないことだらけでしたから「ムシ」もわからないことのひとつに過ぎなかったのです。
 「ムシされる」というのも、何か、私にはわからない法則や、イベントのひとつで、「話しかけても、誰も答えてくれない」という、ルールがいつの間にか成立していて、私だけが、その成り立ちをわかっていないだけだ、と思っていました。」

ええ、そう思っていました。

「key wordは、どーして○○ちゃんは、そんなことを自分にしたんだろう…の「どーして」だと思います。
「どーして、○○ちゃんは、あなたにそんなことをしたんだろうねえ?」「○○ちゃんにそんなことをされた時、どんなふうに思ったかな?」と私の気持ちに寄り添ってくれたら、ずいぶんと違ったと思います。
 そこに○○ちゃんを引っ張り出してきて、その子がやったことや理由、などが絡んでくると、私の頭はパニックに陥るでしょう」

だって、いじめられたと気づいていないし、自分の感情にもたどりついていないんだもん。

これは大事かも。
なぜ、どうして、というのは答えとか解決を求めているのではないのである。この圧倒的なわからなさのなかにあって、なぜだろう、どうしてだろう、と一緒に寄り添ってもらいたいだけなのだ。きっと。

心あたりのある方は、どうぞ。
中学生くらいから読めるんじゃないかな。


ちびさん、さっきから郵便屋さんをはじめて、いろんなものを次から次へと、この部屋へ「お届け」してくれる。ああ、後片付けが…。