パアララン・パンタオ2013年8月①

☆フェンス Cimg3563


4日午後。マニラに着くと、空港にはジュリアン(パアラランの卒業生)とレティ先生が迎えに来てくれていた。車のなかで、機内食のお菓子をレティ先生と半分こして食べる。
ジュリアンに、赤ちゃん生まれたの?ってきいたら、そうだよって。女の子。2か月。見にゆこうっと。

パヤタスに着いて、最初に驚いたのは、学校が天井まですっかりフェンスで覆われていることだ。裏のほうも。強盗よけの対策だ。
裏に干しておいたクレアアン(レティ先生のひ孫)のバッグが盗まれた。それ以上ひどいことが起こらないように。

ベイビー先生とテリーさん(レティ先生の友人、67歳)が来ていた。ベイビー先生はエラプに帰っていったけど、テリーさんは、私の滞在中ずっと、パアラランにいて、家事をしてくれていた。
レティ先生の体の調子がよくない。

ビールとバロット。あひるの孵化寸前の卵。去年食べられなかったので2年ぶり。
好きですが、一度に2個以上はとても食べられない。


☆ワランペラ

うすうす覚悟してたけど、やっぱりそのとおりで、Cimg3548


学校はワランペラ(お金がない)。

まず、今年は給食を支援してくれるところがないので、給食がない。
シンガポールのグループは、パアラランから公立小学校に入学した子たちのうち、家庭の事情が厳しい子たちに奨学金を今年も出してくれるが、パアラランへの支援はない。
つまり、私たち日本からの寄付が、この学校の運営の命綱なのである。

給食があったりすると、学校の資金が足りないときに、給食費からもってくるとか、融通できたんだけど、と心細い。

災害バブルが終わったかなあ、とふと思う。2000年7月に、パヤタスのゴミ山が、台風の雨で崩れて、集落がまるごと埋まり、数百人が犠牲になるという事故が起きた。パアラランの生徒も23人が犠牲になった。

それまで、パヤタスにはNGOの支援の手はほとんどはいってなかったのが、その事故のあと、たくさんの援助がくるようになった。プール付きのデイケアセンターまで出現したのだが(それももう、パアラランの旧校舎と一緒にゴミに埋められている)、パアラランも、そのおかげで、エラプ校をつくることができたし、給食もはじめることができたのだった。

この10年あまり、パアラランと子どもたちの変化は大きかった。とても発展した。学校の建物は新しくなり、毎年300人を超える子どもたちが、パアラランで学んで小学校にすすんだ。

ときどき私は思った。パアラランの発展は、事故で犠牲になった子どもたちの向こう側からの贈り物かもしれない、と。

「どうやって、教師の給料を払えばいいか、わからない」とレティ先生。
私も。

19年前、はじめてパアラランに来たときも、そう言っていた。そういえば。
ずっとそう言い続けているのだ。そういえば。
それでいつも、本当にお金がないのだ。

今年はそれに追い打ちをかけるように、円安である。ドル建ての送金なので、送金額は2割減る。
なのにレティ先生は言う。
「教師の給料が少なすぎる。1000ペソずつあげたい」
公立小学校の先生の初任給が19000ペソ。パアラランの先生は3000ペソ~7000ペソ。一万ペソあげたいよね、ほんとはね。


☆奨学生たち

4年間、パアラランに住んで、家事や学校の用事を手伝いながら、ハイスクールに通っていたロザリンは、無事卒業して、郷里のビコール州に帰っていった。
会えなかったのは、さびしいな。

もうひとり、去年、大学に進学したロレインは(ベイビー先生の娘だが)、1年間通ってやめた。とても成績のいい子だし、とても名門の大学なのだが、授業料が高すぎる。
大学の奨学金をもらうには、夕方までの授業をとらなければいけないが、遠いし、帰宅が夜遅くなるのは危険だし、体もつづかないだろう、というのであきらめた。それで授業料については私たちが支援したが(それ以上は無理だった)、授業料があれば大学に行けるというものでもなく、毎日のジプニー代もテキスト代もかかる。
それでロレインは、1年通ってやめて、いまオフィスでアルバイトしている。10月から別の、もっと授業料の安い大学に転入する予定だ。

☆マインガイ Cimg3579


教室の奥のプライベートルームのベッドをひとつあけてもらって、そこで寝るんだけど、夜、天井の扇風機がうるさくて眠れない。
(しかし、私のとなりで、グレース(レティ先生の養女)はすやすや寝ている。)
な、なんなんだ、このヘリコプターみたいな音はっ。
耐えきれずに、スイッチを切ると、そのうちじわっと暑くなって目が覚める。
(しかし、グレースはすやすや寝ている。)
そうこうしているうちに、学校の裏の道を走る、ゴミのトラックの音がしてくる。

マインガイ(うるさい)ついでに、扇風機もつける。雨の音もしてくる。わりとはげしい雨の音。やけくそ。マインガイに埋もれて眠る。

目覚めたら、壁の時計は7時半で、クラスのはじまる時間なのに、子どもたちの声がしないなと思って起きたら、棚の時計は7時で、
台所に行くと、そこの時計は6時半だった。

ただしいのは、台所の時計。なので、ゴミのトラックが来たのは、5時ではなくて4時。

やがて教室が子どもたちの声でにぎやかになる。 Cimg3596

午前のクラスは7時半から10時。
午後は1時から4時。

月曜の朝は朝礼。国歌斉唱、誓いの言葉。それからノートに名前を書きます。