10月31日金曜日。
ハロウィン。それから万聖節前日。クラスもないのでのんびりしている。
ゴミのトラックだけは、朝4時から夜10時過ぎどうかすると11時まで、休みなくくる。
留学生たちがやってくる。月曜とはまた別の3人。ひとりはコリアンの女の子。
パアラランの歴史と現在の状況について、ざっと話する。
それで学生たち、大学内に、パアララン・パンタオと交流支援するクラブをつくりたい、と考えているって言う。 顧問の先生もいるちゃんとしたクラブだって。
それはとてもすてきな話だ。
昔、学生たちはこっそりやってきた。マニラにいる日本人の大人から、パヤタスなんてそんなあぶないところに行ってはいけない、と心配され、日本の大学関係者からも心配されて、語学研修でマニラに来るときも、いや、パヤタスには行かないから、と言ってこっそり来てる、とか。
それがいつのまにか教官引率で来るようになり、現地の大学にクラブまでつくるっていう。 聞くと、フィリピンに留学する学生たちの、ボランティアへの意識は高くて、クラスのない日はいろんなNGOで活動している。
ひとりの学生は2年前に一度来たことがあって、そのとき、ジープに乗ってダンプサイトにものぼった。(外国人の立ち入りは禁止だが、あらかじめ申請しておくと、ジープにのせてビューポイントまで連れていってくれる。)山の上から、この学校の屋根を見たとき、希望を感じた、という。
20年前、私も同じことを思った。 場所もたぶん同じだ。今は山の上だけど、そのころは平地で、ちょうどいまビューポイントになってるようなところを歩きながら、パアラランは、この学校は希望だと思った。
「希望」という言葉に、ふいに生々しく、心が触れた感じだった。
そしてたぶん、私は希望がほしかった。
希望。パガサ、っていうのだ。
昔、お金がなくて先生が雇えなかったときに、留学生が授業をしてくれたこともあった。近くにいて足を運んでくれる若い人たちがいるというのは、それだけで、とても心強い。楽しんで関わってくれるといいと思う。
学生たちはクリスマス・パーティで踊るよ、とレティ先生には言っといた。
去年と一昨年、留学していた学生たち、帰国後の大学祭で、パアラランのTシャツとかリサイクルバッグとか売って、売上を寄付してくれましたが、 思えば20年前から、パアラランがとてもしんどいとき、どこからともなく、若い人たちが湧いてきて、助けてくれるのが、本当に不思議だ。
よろしくお願いします。
夜、教室でラリーさんは靴の修繕をしている。それをグローリィ(ベイビー先生の孫娘)が眺めている。ジュリアンがやってきて、「アテ・カズミ、明日は朝5時半に出るからね」って言う。
帰国前夜なのだ。
ラリーさんとジュリアンと教室で飲む。テレビのニュースは、万聖節前夜の街の様子を伝えている。車の渋滞。人でごった返すターミナル。
「明日はオールセイントデイだから、今ごろカイルが帰ってきてるよ」ってジュリアンが言う。見えないカイルを抱っこして、ふたりで交代で頭をなでてやる。
カイルが亡くなる8か月前に生まれた妹のサヴィエンヌは1歳4か月になった。カイルは寝たきりの静かな子だったが、妹のほうは、よく喋るし、動くし、全然じっとしてない。やんちゃな女の子だっていう。
「本を書いてくれてありがとう」って言う。
「あの写真のころ、パアラランの仕事をしながら大学に通っていた頃のことは、よく覚えている。大学に行くことができるなんて、ぼくはなんてラッキーボーイなんだろうって思っていた。ぼくはいまもとても幸せだ。カイルは亡くなったけど、ぼくは息子と娘をもつことができたし、とても感謝してる。ありがとう」 って言う。
あー、奨学金を出すことを決めたのはレティ先生だし、寄付してくれたのはスポンサーさんたちだし、私何もしてないですけどね、
「ありがとうは私も言いたいのよ。おかげで私はフィリピンに家族ができた。レティ先生に健康で長生きしてほしいって祈ってる。」
「ぼくもだ。ほんとうに、ほんとうに大切な人だよ」
ジンジンの息子のアチバルがやってくる。プレゼントがあるよっていう。
毛糸の帽子をくれる。私のと夫のと息子の分。
なんか笑ってしまった。雨の日にエラプ校に行ったとき、ベイビー先生がかぶっていて、私がそれをふざけてかぶって、日本はこれから寒いから、こういうのをかぶるよ、って言ったんだけど、それでアチバルに連絡が行って、仕事帰りにマーケットに行って、お土産に買ってこいって話になったんだ、きっと。
ハズバンドに土産は買ったかって、レティ先生にきかれました、そういえば。買ってない、っていうか、もうお金ないし。
ありがとう。
テリーさんは、教室にゴザをしいて、その上でシーツにくるまって寝る。
ラリーさんは、教室の机を並べてベッドにして、子どもらのノートを重ねて枕にして寝る。
アチバルと交代で自宅に帰っていったジンジンは、数日、教室にゴザを敷いて、薄いマットレス敷いて、テント型の蚊帳を張って寝ていた。
アチバルはダンボールを敷いて寝床をつくっていた。それぞれ自由なスタイルだ。
夜、ふと台所に出ると、アチバルがまだ起きていて、テーブルにバナナの葉にのせたライスケーキがある。マジョリーの娘のジェシカがもってきてくれたらしい。ジェシカ、もう二十歳ぐらいになるのかな。会いたかったな。
明日の万聖節のお祝いのケーキ。 アチバルとふたりでこっそり食べる。甘くてお餅っぽい。
夜10時過ぎても、ゴミのトラックも通るし、表の道で、少年たちがバスケットしている音もしている。
深夜に帰ってきたグレースは、レティ先生に言われて経理のレポートのミスを直し、朝5時に起こされて、それからプリンター動かして書類を印刷している。この2日ほど、書類仕上げるのに、グレースは強烈に寝不足ではないだろうか。
レティ先生は、スポンサーさんへのお礼の手紙を書き(これまで何通も書いてもらっていたが、レティ先生の負担も大きいので、1通だけ書いてもらって、翻訳コピーすることにした)、
私は書類の類をリュックに入れて、
テリーさんがパンをあっためてくれて、それを食べて、ばたばたと準備する。
ジュリアンとラリーさんとアチバルが、空港に送ってくれる。
このあと、みんなは、万聖節の料理をもってお墓に行くのだろう。
ありがとう。カイルに、よろしくね。