星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

路地の声

NHK ETV特集「路地の声 父の声~中上健次を探して~」録画しといたのを観た。
新宮の路地のオバたちの聴き取りを、30代の中上がしていた。紡績に働きに行ったとか、色街に売られたとか。
オバたちが、昔のことを訊かれて「わからん」とか「しゃあない」と答える答え方が、私の身内の年寄たちのものの言い方にそっくりで、笑ってしまった。

大学のとき、方言学の夏休みの課題が、地元の年寄の話を録音し書き起こして分析するというもので、夏休みに帰省しなかった私は、そしてそんな課題が出ていたことを知らなかった私は、提出日間際、祖母に電話して、その声を録音したのだったが、

祖母の愚痴やら不満やらをひとしきり聞かされることになった。母が死んだあと、父がひとりになったので、父は祖母の家で食事していたのだが、祖母的には、娘の私が学校やめて帰ってきて、父の世話をするのが正しいのだったから。
その話はもうかんべんしてほしかったので、学校の課題で、昔の話を聞かんならんので、何か話してやと頼んで、5歳でお父さんが死んで6歳で奉公に出て、というなんべんも聞いてきた壊れたレコードみたいな話をきいたが、もっと違うことを聞こうとすると、「そんなこときかれても、わからん」と怒りだしてしまった。わかったのは、祖父は2回戦争にとられた、ということぐらいだったかな。
「しゃあないが」は叔父やら兄やらの口癖である。

ついでに、新宮の風景や、空気感みたいなのが、私の郷里によく似ていて、くらくらした。部落の改良住宅というのは、どこの土地もよく似てる。父は、改良住宅の傍らの、改良されずに残った70年前くらいの家に住んでいる。左官の見習いに出された13歳の、最初の頃に行った現場が、この家だったらしい。それから60年過ぎて、部落で一番みすぼらしい家になった頃に、そこに住むようになるなんて不思議だけど。
家賃が安いので、そこでなら、年金で暮らせる。

「日輪の翼」はオバたちをトレーラーに乗せて運んでいく魅力的な小説だけど、あれは、中上健次が兄やんだからいいのである。男の子はいいのだ。
あんなオバたちの話し相手なんてしてられるかい、と私は思うよねえ。祖母の近くにいるのは30分くらいが限界だった。身近にいたおばさんたち、私はみんな苦手だった。
祖母に最後に会ったとき、さめざめと泣かれた。こわくて、10年訪ねることができずにいたのを、弟に連れて行かれたのだった。
そんなこんなを、思い出したなあ。

もしも訊かれる立場になったら、自分のことは「わからん」「しゃあない」ですませたいと思うかもな、私もな。