命をひだりみぎ

息子、校内で表彰されたらしい。交通標語。「左右の確認 命を左右」。
壇上にのぼるのはえらく緊張したらしい。それで、数学の宿題を提出するのを忘れたらしい。校長が「命をひだりみぎ」と読んだのが、おかしかったらしい。
それが水曜の話。

木曜の朝、学校から電話があって、パパが出たんだけど、
学校から電話って、何があったかと、心臓がざわざわする。「悪いことじゃないんですね」とパパが言ってるし。
なんか、賞もらうらしいぞ。
賞なら昨日もらってきてるよ。
そうじゃなくて、作文。夏休み、何か書いたか?
作文の宿題はあったよ。6年生の夏休みの青春18きっぷの旅の話を書いてた。
どうやらそれが、何かの賞にあたったらしく、写真掲載の許諾を求める電話だったらしいのだ。本人の了解は得たらしい。

さて、帰ってきた息子は、来月、新聞に載るらしいと聞いて、困っていた。「ぼくは掲載を断ったほうがよかったろうか。写真も駄目だと言ったほうがよかったろうか」って言う。
なんで?
「だって、ステルス性が低くなってしまうよ」
というのがおかしい。そこが心配なのか。
息子、体が小さくて電車好きなので、ミニトレインというあだ名なんかもらっているが、またからかわれると、思うのかな。
もらえるもんはもらっときなよ。おじいちゃんとおばあちゃんが喜ぶよ。そんでお小遣いもらいなよ。電車を乗り間違えたときに出会った名誉駅長さんにも、またお手紙するといいよ。喜んでくれると思うし、誰かを喜ばせることができるのは素敵なことだよ。
と話してやる。
パパは「人の噂も、49日だから、すぐに忘れられる。心配するな」と言う。
(75日じゃなかったっけ、と息子が耳元にささやく。うん、きみが正しい。でもたぶん10日ぐらいかもよ。だってみんな忙しいし、他人のことって忘れるよ。またすぐに、ステルス性の高いきみに戻れるよ)

私の心配は別のことだ。息子の作文のコピーを探した。これが載るのか。つまりだ、パパやおじいちゃんやおばあちゃんには内緒にしといたほうがいいようなことが、あのときの私と息子の旅にはいくつかあって、そこらへんが大丈夫だろうか、ということである。
まあまあ、大丈夫かしらね。
語るのは、むしろ語らないためなのだ。もっと時間がたってからなら大丈夫かもしれないけど、いまはまだ黙っとこ。

あんなに気楽に、さくさく書いた作文がなあ。でもあれは、ほんとに楽しい旅だった。