奨学金

奨学金「中退難民」の危機―――バイトに追われ卒業できないhttp://news.yahoo.co.jp/feature/372

こういう記事は、ほんとうに胸が痛いというか、涙がにじむというか、全然他人事でないので、たまらない気がする。
私が学生のとき、国立大学の授業料は18万円だったと思う。それが払えなかった。
最初の年、アルバイトと人間関係と、母が死んだこととで疲れ果てて、翌年は単位が足りなかった。留年すると授業料免除もないし奨学金もなくなるとは知らなかったけど、なくなった。
アルバイトすると疲れるし、疲れると学校にゆけない。お金ないし、いつもお腹がすいているし。
ありがたかったのは、パン屋で10円で売っていたパンの耳とスーパーの裏のゴミ箱のなかの野菜くず。

授業料の未払いで、いつも掲示板に名前が張り出されていたのを、覚えてるわ。それでも3か月か4か月遅れでなんとか払っていたと思うんだけど、それも追いつかなくなってきた。
それで、授業料が払えません、という理由で、休学を申請して、半年休学して、働いた。
あのときは、バイト掛け持ちで、朝から夜中まで休みなしで働いていて、2か月めに倒れた。
春休みに3日ほど休みがあって、帰省したんだと思う。新学期はじまるし、バイトもあるし、広島に戻らなきゃと思ったときに、こわくて心臓が震えたのを、まだ思い出せる。
働きたくない、もうやだ、もう働きたくない、って思ったんだよなあ。

卒業してずいぶんたってから、授業料が50万超えてるとか知ったときに、どうしてそんなひどいことができるのか、理解できなかった。たぶん、生まれるのが10年か20年遅かったら、私は大学行けなかったと思うわ。ひとりでなんとかやっていく、と思えるレベルではないもん。
私は、半年で2年分の授業料ためて復学したんだけど、36万だったから、時給500円程度でも、まだ可能だったので、100万超えるお金なんてつくれない。無理。

留年したせいで、奨学金はとめられたから、のちのちの返済額は、さほどたくさんではなかったけど、それでも15年くらいかかったかな。
就職、なんていうものは、どうしたらできるのか、わからなかった。さしあたり、今週バイトしないと来週食べられない、というふうだから、そのあとのことは考えられない。
バブルのころだったので、就職できない、というのは、いいかげんに生きているとしか思われなかったし、もうそれでいいやと私も思ったな。

「アルバイトに人権はないよ」って言われたよなあ。
時代が、私のあとをついてきている気がするけど、あんまりだよ、と思う。

なので、給付型の奨学金が実現するという話は、すごくうれしい。本当にうれしいです。

息子は部活でパソコンひらいて、そのニュースみてきたらしい。すると、なんとかいう国会議員が給付型奨学金に反対している、という記事があったんだって。

上西小百合というんだね。貧乏人は中卒で働けって。そういうことは、貧乏人だけが、言ってもいいことだと思う。うちの父親みたいに、中学にも行かせてもらえず、13歳から家族のために働きに出されたような貧乏人だけが言っていいことだと思う。
それだって、それが自分の父親だから、ゆるすよりしょうがない、わけですけど。

年収100~200万くらいで20年ほど生きてみてから、発言してほしいと思う。