友だちについて

だから不思議なのは、なんでオトちゃんみたいないい子と仲良くしないで、ミッキーなんかと仲良くしてるのかってことなんだが、
わかんないでもないか。

オトちゃんみたいないい子に素直に慕われたら、嬉しさとか照れくささとかのほかに、まるで自分が純真な子をだましているような、自分の腹黒さを自分で感じてしまっていたたまれないような感じがして、思わず目をそらしてしまうんだな。
と言うと、図星らしく悶えていたが、
そういうときは、ありがとうって言うんだよ。ありがとうって、落ち込んでたけどすこし元気出たとか、ほめてもらって嬉しかったとか、きみが素直に言えたら、たぶん何か少し変わるよ。
たぶん、きみが少々腹黒くっても、ありがとうって言えたら、オトちゃんたちと一緒にいていいんだと思うよ。

さて一方で、ミッキーみたいなのは、きみの優しさと腹黒さにつけこんでくるわけだ。
朝、学校に行ったら、ミッキーは罵倒観音と話していて、ちょうどおまえの噂をしていたんだ、彼女が今日は英語でおまえとペアになるから最悪だって言ってた、などと言うらしかった。
それでいて、自分が彼女とふたりで話しているのを、「やきもちやいてる?」などと聞くらしい。
息子には、もう理解を超えるミッキーの言動なんだが、ほんとにゲスだな。

まず、自分の友だちが、女の子に罵倒されるのを喜んでいるようなのは友だちじゃないだろって話だが、
傍からはそういうことがよくわかっても、そのあたりのセンサーがうまく働かないのが、自閉症というかアスペルガーで、自分がひどい扱いされても、それをそうと気づかないというか、黙って受け入れてしまう。またミッキーみたいなのはそこをよく嗅ぎ当てて、友だちづらしてまとわりつくのだ。えんえんとえんえんと。
いまは、きみを貶めることで、自分がきみより優位に立ったと錯覚できて気持ちいいんだと思うよ。

昔ミッキーみたいな友だちがいたなあと、男の友だちにも女の友だちにもいたなあと、かなりうんざりした気分で思い出したりするんだけど。あれは友情なんかじゃなくて、へんな欲望だったんだと、私気づかなかったし、誰も教えてくれなかったし。
そうしてあの人たちは、人生が自分の思い通りにならなかったときに、さんざん私をののしっていなくなった。ほんとに、私が存在してることが罪悪でしょうかと思うほどだったけど、失ったものも多いけど、
いなくなると、世界の明るさ、心の軽やかさ。なんだ、私は私でいいんじゃないかと、はじめてわかった。

みんなと仲良くしましょうなんて嘘だ。嘘だということを、普通はわきまえて、みんなと仲良くなんてしない。仲良くしたい人と仲良くする。来るものを拒めなかったら、人生がむちゃくちゃになる。だから言ってやらなければいけないのだ。
「友だちは選ばなきゃいけないし、ゲスな友だちは遠ざけるべきだよ」
……とはいえ、言ってやったから防げる、というものでもないし、それはそれで人生なんだけど。

また別の友だちの話。
Fは同じ班の洪水ちゃんと、あるとき契約を交わしたらしい。
「ぼくは盗み癖をなおすから、おまえはおしゃべりをなんとかしろ」。
その契約を守ることは、もちろん洪水ちゃんには無理だったんだけど。
盗み癖をなんとかしろと、息子はFに言っていたらしい。素直に直そうっていうのはえらいかも。

だけど、友だちというもののわけのわからなさとは、幼稚園の頃から闘っているわけだけど、毎年何かしら新しい問題に遭遇するなあ。
13歳。よくがんばってると思う。