春休み前夜

洪水ちゃんが息子に謝ってきたらしい。係りの仕事をしなくてごめんね、って。
でももう、ひとりでやるのが当たりまえになっているし、別にいいんだけど、と息子は思ったらしい。
1年がもう終わる頃になって、洪水ちゃんは自分の係を思い出したらしい。英語のノートの籠を持って行かなきゃ、と思った。ところが籠がない。それで先生に聞いたら、それはいつも彼が持って行ってるでしょう、きみは係りの仕事を全部彼にしてもらって、今まで何にもしてこなかったんだよ、と言われて、ああそうか、と気づいたらしかった。それで、謝りんさいね、と先生に言われて、謝ってくれたらしかった。
「すこしはわかってくれたかな」「さあ、どうでしょうね」という話を、先生と息子はしたそうである。

洪水ちゃんはランランランと歌いながら教室を出たり入ったりしている。こないだ学校行ったとき、見かけた。
後ろ姿だったけど、あの子が洪水ちゃんでしょうかと息子にきいたら、「洪水ちゃんでしかありえない」ということだった。

Fはあいかわらずよろしくない。こないだハサミを息子の首すじに突きつけて、脅す真似をしたらしく、その日は帰ってきた息子も怒っていて、明日、先生に言おうかなと言っていたが、でも結局言ってないのは、なんかもう面倒くさいらしい。
息子のことを、ゴミとかクソチビとか言うし、あんまり人をディスるようなものの言い方ばかりするから、「おまえってそんな奴なんだな」と言い返してはみた。すると、そうだと開き直るし、人をディスるのも暴力もやめろよと言うと、それが自分のアイディンティティだと言うのらしい。

そりゃあまあ、だめなんじゃんないの。たぶんね、きみを貶めることで、なんとか自分のプライドを保っているのかもしれないけど、間違ってしまっているよね。

息子が6年生のときに、療育の先生に、居場所があれば大丈夫です、居場所があると感じられれば、苦手なことにも取り組んでいける。そこが不安になると、悪い面が大きく出てくるから気をつけて、と言われたことを思い出すけど。
(それは自分の経験を考えてみても、とても正しいアドバイスだと思った)

この1年間、息子は新しい学校で、自分の居場所をつくることに成功した、と思う。Fがどうでも困らないくらいに、多様な友人関係があるし、落ち着きもあるし、自信もあるし、人を許せる余裕もある。
英検3級も合格したし、作文の賞ももらったし、背も7~8センチ伸びたし、指も1オクターブ届くようになったし、いい1年だったんじゃないかな。

もうすぐ春休み。すこし空気があたたかい。

春休みになったら、帰省やらなんやらで、身動きとれないので、その前になんとかしようとがんばっています。パアララン・パンタオのニュースレター
原稿はできたんだけど、印刷機は相当ぼろい、というか繊細すぎて、すぐに紙づまりをおこすので、1枚ずつ手差しで紙を送ってやらないといけない。でもなんとか、目途がたってきて、ちょっとほっとしてる。今月中に発送予定。

送付先の名簿の整理をしていて、しばらく音信のない年配の方のことが気になったりする。生きているかいないか、わからない。送っていいかどうかわからない。でも、送るなと言われるまでは、基本、送るのですけど。ときどきは、亡くなった人にも送ってしまったりする。20年以上もやっていると、そういうことも何度かある。
そういえば、亡くなった人から寄付が届いたこともある。家族の方がかわりに送ってくださったり、故人の遺言だったり。
いろいろ思い出すと泣けてくる。

家族ができて子どもができて、それがまた学校に行ったりして、身に染みてわかってきたのは、お金ってほんとに自由に使えないってことだ。ほんとにお金がない。生活するのは、もうそれだけで息が切れるようなことなんだなあと。
なのになぜ、会ったこともないよその国の子どもたちのために、寄付してくれる方たちがいて下さるのか、それがもう奇跡のような気がする。なぜそういう奇跡に出会うことができていいのだろうと、わが身をしあわせに思います。