前夜、翌日の予定について、電車に乗る時間をできるだけ短くしたい私と、できるだけ長くしたい息子と、もめにもめたすえ、朝8時に乗って、夜9時半に着くという案で決着した。
最短時間より3時間も余分にかかるが、できるだけいろんな路線に乗りたいんだそうだ。
4日め。旅の最終日。駅の近くの26聖人のレリーフを見て、息子は、駅の歩道橋の上から、行き交う電車を撮って、大村湾まわりの列車に乗った。
大村湾、海がすごくきれいだった。
そのあとはどこをどう通ったのか。車窓にあらわれたのは、ハウステンボス、有田焼の煙突、吉野ケ里遺跡が一瞬、田んぼの中の道を歩いている中学生たち、田んぼ、畑、菜の花…。ときどき桜が二分咲きぐらい。鈍行列車の旅はわりと忙しい。あちこちで乗り換えないといけないから。
息子はこの点、完璧なツーリストガイドだった。私は言われるままに、降りて乗って降りて乗って、もう、東西南北どっちへ向かって走っているのかわけがわからない。
息子は、特急の通過を見たいためだけに、路線を変えて寄り道をするということまでやってくれる。いつどこで、どの列車とすれ違うか、時刻表を見たらそういうこともわかるらしい。
車窓に削られた山があらわれ、香春(かわら)というかわいらしい駅名があらわれる。ということは、五木寛之の「青春の門」はこのあたりの話なのか。昭和は、なんて遠い方角だろう。車窓に、採銅所という駅名や採銅所小学校があらわれて、また過ぎてゆく。
ようやく下関。あとは山陽線をだらだらと帰るだけと思っていたら、徳山で降りると言う。岩国徳山間を走る岩徳線というのがあって、その岩徳線のディーゼルの音を収録したいのだそうだ。もう理解を超える。徳山では今度は「ぞうさん」の曲の到着メロディーだった。
九州の列車は乗り心地よく、そんなに疲れた感じもしなかったのだが、山陽線はだるい、岩徳線の座席は、ほんの1時間ほどなのに、とてもしんどくなった。すでに夕焼け、すぐに夜。どの路線に乗ったかの記録は息子のノートにゆずる。
私たちがいない間に、軒下の去年のツバメの巣にツバメがもどってきた。翌朝起きたら、向かいの森の桜が咲いていた。