12日。宇和島に帰省。早朝6時のバスに乗った。
パパと息子は、青春18きっぷで瀬戸大橋廻りで宇和島へ。
四国に渡って、途中一部分特急利用して、西条駅下車、列車の博物館を見学して、松山からは下灘まわりで、宇和海の夕陽を見て、夜9時頃宇和島に着く、というコース。
私は夕方から中学の同窓会があるというので、広島駅で別れて、呉まで行って呉港からフェリーで松山、松山から特急で2時には宇和島に着いたかな。
晴れた日に、瀬戸内海をフェリーで渡るのはほんとに好き。
同窓会の会場に行ったら、なんていうか、浦島太郎の玉手箱が開いた感じ、見知らないおじさんおばさんがいっぱいで、ものすごくひるんだ。いや、私もそのなかのひとりだけど。そのうち目も慣れたけど。80人ほど来たらしい。
350人ほどいた学年だったのかな、15人ほどはもう鬼籍に入っていた。
連絡先のわからない人たちも多い。親しかった女の子たちのほとんどがそう。
当時、まわりのことはなんにも目に入っていないというような子だったので、全体として、記憶喪失の海の中にいる感じ、やがて、ぽつんぽつんと見知った顔が見えてくる。
鯛そうめんとお刺身がおいしくて、幸せだった。
2次会のスナックで、その店のママに、「かずみちゃんでしょ。お母さんそっくり」と声をかけられたのだが、幼稚園のとき仲良かった子で、彼女こそ、お母さんそっくりで驚いた。
あの頃の母親たちの年齢をとうにすぎた。
10年前はまだ子育ての話もすこしはあったけど、いまは親が亡くなった話、認知症と介護の話、が増えてきた。玉手箱は開かれたのだ。
13日。
朝、兄がホテルに迎えにきてくれる。2週間ほどの入院で退院できたらしく、しゃべるのがやや不自由になったぐらいで、生活に支障ないらしくてよかった。
父を連れて温泉に行く。夕方まで、高校野球見ながらのんびりした。
息子は、付属の温水プールで練習していた。これまで息継ぎをすると、たちまち溺れる人になっていたのが、息継ぎをしても溺れなくなったらしい。
夕方、お寿司屋さん。それから松野町の夏祭りゆく。
松丸街道は芝不器男記念館のあるところ。もう閉まってたけど。
ここは、花火がすぐ足もとの河原から上がるのが迫力がある。
息子の関心は、予土線の列車で、列車が通過する度に、ビデオをまわしている。
ここ、新幹線も走るのだ。はりぼての。
パパに話しかけてきた20代くらいのお兄さんがいて、気づくと30代くらいのお兄さんもいて、そこに息子も加わって、なんというか、類は友を呼ぶのだ。
こんな田舎で、夜の駅で、10代~50代まで鉄道ファンたちの情報交換会。
なるほどなあ。行きたい駅に、行ってみたら、そこには誰か仲間がいるというわけだ。いいかもしれない。
通常運行の列車が出たあとに、祭りの臨時列車が出るのだが、それが面白いよというので、臨時列車で帰ることにする。
トロッコ列車と昔の国鉄時代の特急列車をつないだ2両編成。
途中、森のなかを通るときに、木の枝にしばかれるので、トロッコの窓際は注意。トロッコじゃないほうに乗ったけど。
それで途中の駅のお待ち合わせで、息子はカメラもって、陸橋にのぼって、通過列車を撮影したりする。真夜中近く、山の中の無人駅。乗り遅れたらどうするつもりだろ。