星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

帰省その2 闘牛と海

14日。Cimg8640



闘牛にゆく。山の上の闘牛場まで歩いてのぼる。ふもとの集落が母の里で、幼稚園の頃まではよく遊びに来た記憶なんだが、あたりはもうすっかり変わっていて、どこに母の実家があって畑があったかも、わからない。坂道登ると、お城山が見える。

Cimg8651

千枚のうちわはためく闘牛場。
毎年この日この場所で、闘牛見てるよなあ。なんか、見に行かないとさびしいような感じになってきた。外国人の見物客もちらほら。暑いし、闘う気もなさそうな牛もいて、勢子に声かけられて、ようやく角突き合わせていたりするのが、かわいらしかったりする。
それなりに迫力があったのは、結びの1番かな。

Cimg8679










叔父のひとりが、観光協会のボランティアで交通整理していた。





Cimg8688

そのあと、兄と父をさそって、兄の運転で、遊子(ゆす)の段々畑見にゆく。以前も来たのだが、小学1年だった息子、何にも覚えてないというので、もう一度。外国人が愛媛をサイクリングする番組で来て、マチュピチュスタイルだと言っていたけど、海に面した段々畑。戦後、町への道がつながるまでは、舟に乗って来ていた。そのころの話を父がする。

息子が関心をもったのは、山から作物をおろすのに使うモノレール。なんでもラックレールというレールで、めずらしいので見たことのないレールシステムらしい。写真撮ったり説明してくれたり、した。Cimg8709




それから、蒋渕(こもぶち)に行きたいと私が言ったので、兄が車走らせてくれるが、言うんじゃなかったと後悔した。
昔、仕事で蒋渕まで行くときに車に雉がぶつかって、その雉をあとで食べた、という話を父がするが、私たちの車にぶつかりそうになったのは、山頂あたりの道に集まっていたトンビで、それが何匹も足もとから飛び立つのは、ちょっと凄かった。
遊子までもねくねくねの山道を越えていかなければいけなかったんだけど、菰渕まではいっそうで、地の果て感あった。まちがって、違う海岸にも出るし。
そこは、数軒ほどの集落と、貸し釣り舟があったけど、こんな不便なとこまで都会から来るの?と不思議だけど、来るらしい。

引き返して、やっと蒋渕。ちょうど私が、パアラランの屋根を直すのに、クラウドファンディングをしていたころに、ここの人たちのクラウドファンディングもやっていて、海に面したテラスに、椅子をつくる、というものだった。それを見に行こうと思ったのだ。
郵便局で場所を教えてもらった。郵便局の前に郵便船が繋がれていた。Cimg8723
はじめて見た。郵便船。

それから見つけた。海の上の椅子。Cimg8732

こんなくねくね道、よく走るよねと思うけど、兄は慣れたもので、昔はどこへ行くのも、こんな道ばっかりだった、と言う。そういえばそうで、私、子どもの頃、どこかへドライブに行く度、ゲーゲー吐いてたけど、吐くよねえ、そりゃあねえ、と思った。

それから叔父ふたりと合流して、焼き肉食べる。食べる食べる。それから叔父ふたりと息子と私とで、カラオケスナックへ行く。叔父たち、昔、姪の私と遊んでくれたように、息子と遊んでくれるのだった。私は店のママに、愛媛のミカンジュース、瓶1本もらってしあわせだ。

15日。
朝8時45分の鈍行で宇和島発。みきゃん列車。帰りは3人とも青春18きっぷで鈍行乗継ぎで、広島まで。Cimg8759



予讃線の鈍行は、特急お待ち合わせの時間があって、これがだるいんだけど、それでも昔に比べたら、すこしましかもしれないけど、四国脱出までに10時間近くかかる。
フィリピン行くより時間がかかる。ほんとに、近くて遠い四国だよ。
駅ごとに、カメラをもってあれこれの電車を撮影して、息子は楽しそうだったけどね。

夜11時近かったと思う。帰宅。