発券がはじまった翌日には、往路はすでに完売、復路だけ2人分の座席を確保した。
それで山口に帰省した。19日の午後、津和野─新山口間をSLやまぐち号に乗るために。
なんでも9月からは新しい車両になるので、これまでのタイプに乗れるのはこれが最後、とか。
こないだも乗ったのに、と思った私のこないだは、息子はもう覚えていないくらい昔の5年前。
18日は山口県立美術館へ。美術の宿題が、美術館へ行って鑑賞レポートを書くというもので、山口県は18歳以下は無料、ランス美術館展は私も見たかったし、香月泰男のシベリアシリーズも久しぶりに見たいし、で、行った。
面白かった。レオナール・フジタの絵がたくさんあって楽しかった。日本画とアニメーションの絵が接続するのはこういうことかと、思ったりした。
レポートを書かなきゃいけないので、息子もまあまあ真面目に見ていた。
彼は、風景画が好きらしい。印象派の田園とか都市とか。
コレクション展の水墨画見て、涼んでいた。
長門の香月泰男美術館へは何度も行ったので、シベリアシリーズも、はじめて見る絵ではないはずなんだけど、息子は何にも記憶がないという。覚えているのは、美術館近くの道や中庭にあった、人形のオブジェだけだって。……まあ、そんなもんか。
美術館で、すぐに疲れてすわりたがるので、へんだな、とは思った。なんか調子が変、ふらふらするというので、一度病院に行ったほうがいいかなあと思ったりした。
その夕方、発熱。すこし腹痛。
38度あって、夜中には39度になっていた。
これはSL無理だよと言うのに、ここまで来て行かないなんて悔しすぎるって言う。まあ、そうだろなとは思う。
朝、病院に行って、インフルエンザでないことは確認して、風邪と便秘の薬もらって、予定通り、SLを追い掛けながら、津和野まで、車でゆく。ところどころで、写真撮ったり、ビデオまわしたりしながら。
夏の日の午過(ひるす)ぎ時刻
誰彼(だれかれ)の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走って行った……
中也の詩のフレーズを思い出したけど、たぶん中也も見ていたような田園風景のなかを、走ってゆく。
津和野では、熱の子を連れて、カンカン照りのなかを、凍らせたペットボトルとOS1を抱えて歩いたのだった。
パパとおじいちゃんと別れて、私と息子と、ようやくSLに乗り込んで、席にすわったあとは、私はもう眠かった。
車輛は、明治風、大正風、昭和風、欧風、展望台風、とそれぞれデザインが違っていて、私たちが乗ったのは欧風だった。新しいのはどんなふうになるんだろう。
乗っている人たちが楽しそうで、沿線の人たちが手を振ってくれて、幸せな光景だなと思う。
夜、すこし熱が下がって、
次の日はもう平熱になっていた。夕方、家に戻った。
息子、その翌日は、友だちと遊びに行く約束だが、熱もあったし休んだほうがいいよ、という話になって、電話して断るつもりが、友だちが教えてくれた電話番号というのが、インチキで、つながらない。そういえば教えてくれるとき、自分でもはっきり覚えていないみたいで、たぶんこんな感じの番号だった、と言っていたそうだ。
なにそのいいかげんさ。中2男子って、そんなもん?
そんなわけだから、待ち合わせの場所に行くしかない。1時間半かけて待ち合わせの場所に行くなら、もう遊んで帰ればいいのだ。
そんなこんなで、夏休みは昨日で終わり、夏休みの日記30日分を最終日にせっせと埋めていた。
夏休みが、まわりの学校より早く終わるみたいだ。給食がないので、お弁当、と。
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さて、私は私の仕事、パアラランのニュースレター、つくらなければ。