小さい旅

旅。といっても、愛媛に帰省しただけなんだけど。
でも、ひとりで帰省するのは、10年ぶりぐらい。

静岡の友だちが、松山に来るというので、松山なら会いに行ける!というわけで、海を渡った。広島港から乗るよりは呉港から乗ったほうが、すこし安い。朝6時に家を出て、11時に松山着。Cimg8982



友だちと(といってもはじめましてだった)その息子さん(中1)と、子規記念館と道後温泉に行った。子規記念館はやたら大きかった。ホテルかと思ったもん。展示はたぶん充実していた。でも少年には退屈だろうなあと思った。読めない文字と古い写真だもんね。
道後温泉の2階で、お湯からあがって、暑いなあと思っているときに夕立ちで涼しくなった。はじめて会ったのに、なんかすっかりうちとけていました。楽しかったです。ありがとう。

せっかく海を渡ったので、宇和島まで帰ろうと思って、連絡したら、兄が迎えに来てくれることになって、温泉まで来てくれた。
昔、宇和島から松山って、山道のぼりくだりで遠かったのに、高速できてほんとに近くなったよね。1時間半ぐらいで着いた。
子どもの頃は、松山なんて、「よそ」の土地だった。南予なら、まあまあ地元だと思ったけど、中予東予は、同じ県内でも「よそ」。ずっと、広島と宇和島の中継点くらいにしか思わずにきたけど。

叔父さんのひとりが、一人暮らしで真面目に料理する人で、休みの日にあれこれ作ったのを取りにこいと、兄に声かけてくれるそうで、取りにゆく。私が帰ったので、私と父の分も持たせてくれる。カレーとゴーヤチャンプルー

父は、私が帰るので布団を出してやろうと、押入れから出してみたら、ねずみが喰っていたらしく、はげしく食われていたシーツや毛布は捨てたらしい。喰われなかった毛布をかぶって寝た。

翌朝、雨。スマホなどというものを私はもたないので、出かけるときは、キッズケータイ、登録した10件ほどとは連絡がとれるというシロモノをもって出る。メールチェックをするのに、ネットカフェに行こうと思った。近くにあるという噂は聞いていたから、そのあたり目指して歩いた。
だけども、見つからないので、そのあたりの店できいてみたら、ネットカフェは以前はあったけど、いまはないという。どうやらこの町にネットカフェはないらしい。
たぶん、スマホが普及したからかもしれない。都会ならいざ知らず、こんな端っこの町ではもう成り立たない商売なわけだ。

雨なので、自転車も乗れないし、歩く。歩いて目にとまるのは、廃墟である。
以前、闘牛の黒い牛を飼っていた家は、おじいさんが死んで、牛を手放した。牛がいた庭は草がぼうぼうと茂る荒れ地になった。家ももう住む人がいないらしい。部落の団地も、空き家が増えている。家のまわりのブロックを城壁に模して、城までつくっていた大家さんの家も、大家のじいさん亡くなったあとは荒れ放題。城も崩れかかっている。

父の家、戦後すぐの建物らしい、ぽっとん便所のおそろしさもそのころのまま、昭和のいちばん貧しい景色のなかで、暮らしてる感じなんだけど。こんなに安く住めるところはほかにないので、引っ越さない。それはそれで、父の価値判断だからいいんだけど。
かれこれ40年前から使っている電話が、まだ現役で、ジーコロロジーコロロとダイヤルをまわすやつ。友だちに電話かけようと思って、まわしてみたら、指に埃がまとわりつく。
父さん、電話は受けるばっかりで、かけないみたいだ……。たしかに、かけてこない。こないだかけてきたのは、身近な人が死んだときで……すでに5年前。

父はへんな話をする。屋根がとんだり床上浸水した40年以上前の台風のときに、ひどい目にあったあと、天を叱ったらしいのだ。それからひどい台風はこっちにこない。何年前か来かかったことがあったが、わしが叱り飛ばしたら、方向を変えて行ってしまった。
でも誰も信じてくれん、と言う。

それからこれははじめて聞いた話なのだが、墓を移すときに、父が骨壺をのぞいてみると、骨が盗まれていた。私の母の骨と祖父の骨。すべてではなく、何割か、ぐらいらしいんだけど。「骨盗人にやられとった」と言うんだけど。骨盗人。
骨なんか盗んでどうするの?ときいたら、骨から宝石をつくるんやろ、と言う。
ダイヤモンドが、できるらしい。

で、あとで検索してみましたら、遺骨からダイヤモンドをつくります、という商売があるらしのでした。お値段数十万円から数百万円。でもそれは遺族が、故人の遺骨を差し出して、お金を払って、ダイヤにしてもらうというもので、他人の骨を盗む必要はないしなあ。

いろいろと謎だ。父という人も。ときどき、記憶や考えがねじ曲がっていたりするのにぶつかると、私も黙っていられないので、言うけど、聞いてない、というか、人の話を聞く気がないだろ。

兄が車で、私と父を温泉に連れてってくれる。父は食事代ほか全部払ってくれる。鯛めし、美味しかったし、さつま汁も美味しかったし。
夏に会えなかった高校のときの友だちに、帰省してるから会おうよう、と連絡したら、どうしたの?お家の人に何かあった?ときかれて、ああそんな歳だなあと思ったけど。会うと、当時の空気感がそのまま戻ってくるみたいだ。もう、いろんなことを忘れているけど、楽しかったことを思い出して、楽しかった。

町は寂しくなってる。若い人たちは出ていくし、出ていったら帰って来れないし。海辺のほうの中学校はもうなくなって、町のなかの中学校に統合されてしまっていた。Cimg8990




家に2泊して、松山まで兄に送ってもらうのに、父も一緒に行くって言う。松山までドライブ。ちょっと寄りたいところがあって、聞いたら、兄は昔行ったことがあるし、場所わかるよというから、安心していたんだけど、迷った。

すごく迷って、ようやくたどり着いたときは、なんか、別世界の入口を見つけたみたいな、お話のなかにまぎれこんだような感じ。
以前、ある小冊子の取材で広島の朝鮮学校に行ったときに、お話聞かせてくださった李校長先生が、いま四国の学校の校長先生なので、それなら、帰省のときに訪ねてみようと思ったのでした。
なんて小さな、なんて愛らしい、森の中のとても古い建物、ほんとにかわいらしい学校だった。生徒たち、森のなかの妖精に見えた。表情が人なつっこいのが、なつかしい感じがする。
私の子どもが通った小学校は人数多すぎるし、すさんでいたし、彼がいじめられたこともあって、警戒怠ってはいけない場所として、親としても何かざらざらした気持ちで過ごしてきたことを考えると、
森のなかのこの小さい学校の、こまやかに情の通う感じ、家族のような学校があることは、それだけで、少し癒されるものがある。

ソローの「森の生活」やバーネット夫人の「秘密の花園」を連想した。何かそのような場所。

港で、フェリーの時間まで、父と兄と海の風に吹かれていた。
呉から広島に帰り着いた頃、夕焼けが凄かった。電車のなかからだから、写真うまくとれなかったけど。Cimg9015