雨の午後

東野圭吾の「白夜行」のドラマは、以前に見た。映画まで見る気はなかったんだけど、たまたまネットで、無料動画やっているのが目にとまって、見てしまった。
雨の午後。

雪穂という名前は、たちまちこの作品を思い出させるけれど。この作品は、妙に好きかも。
アリス・ミラーが(昔、読みふけった)「魂の殺人」と言ったことなど、いろいろ考える。

直視に耐えない現実がある以上、物語は、必要とされると思う。傷ついた者の尊厳をどこかで語るために。共感ひとつにも必要な勇気のために。
無傷なものが不潔に見えるふしぎ。

クリスティーナという女の子のことを思い出した。5歳ころから7歳か8歳までパアラランに通っていたんだけど、ある年いなかった。
クリスティーナは?って聞いたら、どのクリスティーナ?って聞かれた。
レイプド・チルドレンのひとりだった子、とはとても言葉にするのがつらくて言えなくて、そのままになった。
でも聞かなくても、学校に来ないのだから、学校をやめたのだ。90年代の半ば、10歳くらいになると、みんなゴミ山で働いていて、学校に行かないし、パアラランにも通わせてもらえなくなる子が多かった。

あのころの子どもたち、もうみんな20~30代になったと思うんだけど、会えなくなった子どもたちも、みんな、しっかり大人になったかしら。クリスティーナも、どこかで生き抜いてくれているかしら。