ここにもいるし

匂い、ってなんかあるのだ。その本についての記事をひょいと見かけて、読もう、と思ってしまったのには。それで、読みはじめたら、いや、途中で何度もページを閉じてしまって、なかなか先へ進まない。途中で何度もページを閉じてしまうのは、いろんなことを思い出してしまうから。見失った友だちのこととか。
藤崎彩織「ふたご」。
セカオワは、息子とピアノで一緒の、Yくんと妹が大好きなグループ。
それで今日、Yくんママに会ったので、本の話をしたら、Yくんママはすでに読んでいて、きっとノンフィクションよね。生々しい。こういう子いたなあと思うよね、ここにもいるし、みたいな話をした。

むかし、どう考えればいいかわからなかったたくさんのこと、さしあたり、注意欠陥多動性、でも自閉スペクトラムでも、パニック障害でも、名前がつけば、障害特性だったのかとわかれば、腑に落ちることはたくさんある。きっとみんなそうだったんだろうけれど、でも思い出すときは、ひとりひとりの特性になり、ひとつひとつの出来事の表情になる。
読みながら、いろいろと、なつかしい人たちを思い出して、心がこすれるような思いをしたことなんかも、思い出して、まだ全部読んでないけど、よく書いてくれたな、と、愛おしい感じがする。

発達障害、10年ほど前は、50人か100人に1人、と本に書いてあったが、最近は15人に1人と書かれているようだし、息子のクラスなんかは、話聞いていると、もう5、6人に1人の感じがするほど。
「おかげで、ぼくは目立たず、しずかに過ごせる」と息子は言っている。授業によっては、男子たちのうるさいのが止まらないので、耳と頭が痛くなるし、甲高い声をあげる女子もいて、その声には、毎日心臓がとまりそうになる、らしいのだが。

私、そのあとをずっと追いかけていきたい女の子がいた。一歳年上の。中学生になった頃から、もうどう声をかけていいかわからなくなっていたんだけど、いつもずっとあとを追いかけて行きたかった。高校になって、突然、彼女がいなくなり、退学したことは、ずっとあとで知ったんだけれど、あの置いてきぼりにされた感じ、どうしてこんなところに、私だけ一人で残されて、って思ったこと……そういうことを、また別の人たちのことも、思い出したなあ。

大好きだった人たちのことを、思い出した。