2月の雪のなかで

月曜の朝、空が晴れて、消え残っていた雪とのコントラストがきれいだった。

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夜になって降って、火曜の朝は雪かき。

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息子インフルエンザの10連休を終えて、久しぶりに学校に行く。雪なので送っていく。雪景色きれいだ。

ついでに、帰りに、郵便局や税務署に行く。さらについでに、散髪する。たいてい自分で切るが、数年に一度くらいは日本でも散髪するようになった。1080円。
どうせ切るんだから、当分切らなくていいくらい、短く切ってしまおうと思うには思ったが、ほんとに切った。なんかマッチ棒みたいな頭になった。頭が軽くなってさっぱりしたが、寒い。何も雪の日に切らなくてもよかったかな。店はすいていた。

バレンタイン前夜らしく、息子が持って帰った教室の話題はチョコレートがらみ。Hちゃんが、手作りチョコの味見をT君にさせた(息子はかかわらないですむように離れていた)、そのチョコがとても不味かった、らしい。最初の3秒は普通にチョコレートだが、そのあとは、しょっぱくなって、最後は吐きそうになる、しろものだった、って。クリームチーズ入りらしいんだけどね。作りなおすにも、もう30個、配給用につくってしまったらしいから、たぶん配給するんじゃないのかな。
大きいNくんは、クラスのある女子に、自分は手作りチョコというものを食べたことがないから、つくって欲しい、と要求したらしい。で、その女子は、仲良しの男子は別にいて、みんなそのことを知っているのに、Nはよく割り込んでいくよな、とみんなはあきれていたらしい。
おもしろいなあ。


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2月10日は、石牟礼道子さんも亡くなったみたいだ。日本でノーベル文学賞をもらうならまずこの人だと、思っていたんだけれど。最後に読んだのは、志村ふくみさんとの対談集だったと思う。
仕方のないことだけれど、母親世代の人がいなくなってゆく。私は、その世代の人たちと、私たち世代の間で、何か決定的に失われているもの、継承できなかったものが、あるような気がして仕方ない。(もしかしたら、母をはやく失くしたという、個人的な感じ方に由来するにすぎないのかもしれないが)。とにかく、なんというか、人として、何か肝心なことを欠落させたまま、生きてきてしまったような気が私はしていて、
石牟礼さんの作品を読むのは、欠落したものを取り戻す手がかりになるような気がして、そんなふうに、作品を読んできたし、心がなついていた人たちが、亡くなっていかれるのが、なんかもうほんとうに心細い。