星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

最強のぼっち

先週、今年度最初の授業参観と、懇談会があった。
数学の授業はプリントの問題を解いているだけで、静かで、面白いこともなく。
懇談会はクラス別、これまでに親しくなったお母さんたちはみんな別のクラスになって、お母さんたちとも先生とも、はじめましてだった。
お母さんたちの話が、なかなか壮絶だった。反抗期の娘が家で暴れて、壁に穴が開く、とか、全然しゃべらないので、毎日学校でどう過ごしているのか、さっぱりわからない、とか。学校では自分なんかいてもいなくてもいい存在だと、拗ねているとか、子どもをかわいいと思えない、どこをほめていいかわからない、とか。うちの子はなかなか学校に通えなくて、とか。うちの子は騒がしいと思う、ごめんなさい、とか。
反抗期……。息子はたまに不機嫌だったり、することはあるけど、私がにゃあ、と鳴くと、にゃあ、と返事するし、毎日笑って暮らしているので、同級生のお母さんたちの話に、少しおののいた。
とおく自分を振り返ると、部屋にバリケードを築いたことは何度かあった気がする。父とけんかして殴られたこともある。泣きわめいたことももちろんある。部屋にこもって、ひたすら日記を書いていたり、布団にもぐって泣いたり。朝起きて赤い目をして学校に行くのが憂鬱だった。楽しかった感じは、あんまりないかも。もっと楽しく過ごしてもよかったのにな、と今になって思うけど、どうすれば楽しく過ごせるかなんてわかんなかったよ。
たぶん、子どもは子どもで、自分自身にお手上げでどうしていいかわかんないし、親も親でどうしていいかわかんないのだ。
隣の席がぎりぎりちゃんのお母さんだったので、お互いの子の聴覚過敏の話をする。去年は授業が騒がしくなることが多くて大変でしたね、今年は騒がしくならずにすむといいですね、と話したりしたあとで、そういえば、息子は同級生たちにカミングアウトはしていないので、私が勝手に喋ってはいけなかったかなと思ったけど、あとで、息子にぎりぎりちゃんのお母さんとお話したよと言っても、何にも気にしていないようだったので、この場合はよかったのだろう。

小学生のときの同級生のムーミンと区別するために、ムーミンNとでもしとこうか、去年息子と同じクラスで、今年は別のクラスになった、ムーミンNのお母さんとはちょっと挨拶しただけだけど、心配は尽きないみたいだった。
息子が言うには、Nは小学校で一緒だったムーミンと、性格も体型もよく似ている。彼は、人との距離の取り方が全然わからないみたいだ、それで普通なら、距離をとるところを、べたべたと近寄っていっては嫌われる。
そういえば生徒たちが年間の目標なんかを書いたカードが貼ってあって、勉強や成績のことを書いているカードのなかで、ムーミンNが友だちをつくる、と書いてあったのが、なんか切なく見えたのだったけど。
ムーミンNはひとりがさびしいし、明るくはしゃいでいる人たちも、やっぱりひとりにならないですむようにそうしている。「みんな、孤独への耐久力がなさすぎるよ」と息子は言った。
おお。

小学生のころ、人とのコミュニケーションが難しかった息子に、パパは言ったのだった。「無理して友だちをつくらなくていい。最強のぼっちを目指せ」
ひとりでも楽しく過ごせる自分をつくろうよ、と心がけてはきたのだと思う。息子も私たちも。ピアノや電車や本が、ぼっちの味方だった。
息子はもう、ぼっち飯も平気なら、ひとりで1日中、鈍行列車に乗って知らない土地を旅しているのも楽しい。気づけば、一緒にいて楽しい友だちも先輩もできた。
たぶん、目指すところは正しかったのだろう。

孤独への耐久力って……。きみにそんなに耐久力があるとも思わないけど。


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庭のぼたんが咲いた。何年ぶりだろう。自分がぼたんだったことを忘れていなかったらしい。……私が世話しないせいで、何かが足りなくて、ずっと咲けなかったのだと思う。赤いぼたんでした。もうひとつ白いぼたんもあるんだけど、それは咲かない。