星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

脱畜生道

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畑の牡丹も咲いた。ティッシュペーパーでつくった花みたいなのが。何年ぶりかな。


息子のクラスの洪水ちゃんは相変わらず洪水ちゃんらしい。英語の新しいネイティブの女の先生とやりとりしていて、「I love you」と先生が言ったら「I love you,too」と答えた。なんか目に浮かぶみたい。
そこは「me too」でいいんじゃないの? いや、いまそれは使えないでしょ、違う意味になりそうだよ、みたいな話を私たちはしたんだけど。

「セクハラのニュースは、誰が何をしたかとか、たくさんあってよくわかんないよ」と息子が言う。私も面倒でよく見てないのでわからないが。

思えば、セクハラという言葉があるだけでもありがたい、というか隔世の感がある。me tooなんて私もひと山あるが、長いことそれは言葉をもたなかった。気持ち悪さも怖ろしさも、言葉を持たないまま、体の深くにしずんで、なんとなく自分はやましくて、正しく生きることができない人間だという感覚をつくってゆく。うしろめたくて言葉にならない、外に向けられない憎しみは、私をうちがわから壊していく。
セクハラで会社をやめた友だちもいた。専務のしたことを社長に言ったら、それはもう、自分がやめなければならないということ。女の事務ひとり、会社が守ってくれるはずがないので。それは運が悪かったのであり、彼女の素行に問題があったのかもしれないのであり、せいぜい気をつけるしかないねと、まわりは言うのだが、たとえばあのとき、やめなければならないのは専務だとわかるためには、セクハラという言葉が必要だったと思う。
セクハラをハニートラップと言い換える向きもあるみたいだけど、それは卑怯だし、ふつうに畜生だよね。

さて、息子はパパに叱られていた。ゲームをやめて寝るように母に言われても、無視してきかないでいたからだ。ママは怒らないからママの言うことは聞かない、パパに叱られたら聞く、そういうのを畜生って言うんだよ。それははずかしいだろ。誰に言われても、正しいことはきけ。
ひとしきり泣いてあやまりにきた。「お母さま、ごめんなさい」。こういうときだけ、おかあさま。
それで、メモに、「脱畜生道」と書いたりしているのが、なんかすごい。

そういえば、と思い出して探した。昔読んだ本。桐生悠々畜生道の地球』。すごいタイトルだとあらためて思う。