エトワール

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蛍見にゆこうと思っていたのに、息子を誘ったら、試験前でそれどこじゃないとか、疲れているのにまた坂道上り下りするなんていやだとか、ふられて、そのまま忘れていたんだけど、昨夜、もしかしらもう蛍いないかも、と思い出して、せっかく近くに蛍が明滅するところに住んでいるのに、蛍見ないまま季節が過ぎるのも残念すぎる、夜中ひとりで懐中電灯もって、坂の下のポストに手紙落としがてら、川まで行った。いないかもしれないと思ったけど4匹ほど飛んでいた。
星や飛行機の灯、遠くの家の灯と同じほどの大きさで、蛍。
川のあたり真っ暗ななか、蛙がにぎやか、草の匂い、田んぼの匂い、水の音、風に鳴る森の音。こういう夜道を歩いていると、この道はこのままずっと、子どものころの景色にも、また別のなつかしい場所にも、つながって行きそうに思えるんだけれども。

暗闇のなかでちらちらする、あれこれの光を見ながら歩いていて、エトワール(星)という言葉を思い出した。「ジヴェルニーの食卓」(原田マハ)という本は、印象派の画家たちの物語、いくつかの短編のなかの、ドガの話が「エトワール」というタイトルだった、と思う。新しい画風が世間の嘲笑に晒されていたころ、14歳の貧しい踊り子をモデルに創作しているドガの言葉を、ときどき思い出す。
「闘いなんだよ。私の。──そして、あの子の」
蔑まれながら、エトワールを目指して生きる画家と踊り子の共感。

その言葉を、ほんとうにどこかで聞いたことがある言葉のように、私はときどき思い出す。
「闘いなんだよ。私の。──そして、あの子の」

庭のあじさい。各種咲きそろった。雨の日は、門のところ出入りする度にあじさいの花があたって濡れるから切ってって息子が言うけど、いやだ。
 
大阪の地震、お見舞い申し上げます。友人のみなさん、大丈夫だったでしょうか。疲れませんように。