星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

生きる

沖縄の慰霊の日に、14歳の女の子が読んだ詩。素直で力強くて、風土のように体温がある。朗読の声も音楽のように、こころよい。こんなに健やかなものがある。なんか、うれしくなった。このうれしさは、とてもよいものだ。
このあたりを貼っておこう。

沖縄慰霊の日:平和の詩「生きる」全文 - 毎日新聞


最初に目に留まったのは、女の子の名前だった。私の、死んだ友だちと同じ名前だったので。読み方は倫子(みちこ)だったけど。小学校6年の1年間同じクラスだった。小さい頃から病気で入退院を繰り返していて、その1年間だけ、学校に通えたのだったと思う。翌年はまた入院して、11月に亡くなった。
帰り道が一緒だったので、毎日一緒に帰っていた。駄菓子屋でみっちゃんに借りた10円玉のいくつかを私はたぶん返していない。忘れていただけだったんだけど、思い出したときには亡くなっていて、やがて、みっちゃんの家のあった市の古い団地はまとめて取り壊しになったので、家もわからなくて、とうとう返しに行けなくなった。
返せなかった10円玉が私の宝物だ。いつか、借金の利子が膨大に膨らんでしまって10円玉が大きな金塊くらいになったときに、その大きな金塊をあの子に返すことができたらいいなと思う。わたしが返せなくても、かわりに神さまがかえしてくれるだろうとも思っている。
みっちゃんの声も顔も、いまもはっきり思い出せる。ふしぎなくらいはっきり。

それから、沖縄の子どもの平和メッセージ展、のサイトで、何年分もの詩や作文や絵の優秀作が見られたので、見ていたんだけど、祈りの実感、というか、祈りに体温があることを感じた。生きることと祈ることが同じであるような、自然さ、健やかさ、力強さ。こういうところから生まれてきた詩なのか。

この子が書かなければ、なかった詩なのに、書かれたら、その詩が存在しないことを想像できないような、そういう詩。