星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

天動説

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小学校のときに一緒で、地元の中学にすすんだ子たちについては、ほとんど何も知らないのだが、I君経由の情報で、Aはいじめられて不登校になっている、Bは背が伸びなくてまだ145センチくらいだ、と聞いた息子は、驚いた。
Aは息子をいじめた子のひとり。体も大きくて恐ろしかったのに、あいつがいじめられるなんて。Bは息子を「チビ」といつもばかにして呼んでいたのだが、いまはBのほうがずっと低くなってしまったということか。

定期考査の社会科の答案、持って帰っていたので、ひょいと見たら、時差の問題ができてないっぽい。時差は、これまでも連続で点を落としているところなので、試験前夜に最後に復習して、わかった、大丈夫、と言っていたんだが、できなかっただね。引き算のところを足し算した、と言う。ついでに理科の範囲は天文だったんだけど、それもよろしくなかった。満月と新月が逆、西と東が逆。
そういう間違いは私もやった、気がする。で、解けるようになった、記憶はない。

それはおまえの頭のなかが、まだ天動説のままだからだ。
と、なんか飛躍ありそうだが、間違う理由について、息子を納得させてしまったパパの見解。

西洋で、天動説か地動説かで火あぶりをしていた、そのはるかはるか昔から、東洋では、万物流転していた。星が動き月が動き、すべてが動くなら、この地面も当然動いている、という悟りがあったのだろう。

という話に感心したからといって、問題が解けるわけでもないが、息子、自分のことは棚にあげといて、まわりの同級生たちの天動説はよくわかる。
ほとんどみんな天動説で、自分中心で、自分に都合がいいから、あるいは悪いから、人をいじめたりからかったりしているわけだが、それが、次には逆にいじめられたり嫌われたりするわけだから、なるほど万物は流転するし、こいついやだ、と思う連中は、たしかに頭が天動説だ。自分の好き嫌いや印象で、人をばかにして恥じない。

社会科は公民に入り、少子高齢化核家族、大家族の話。それで祖父母が県外の人ときかれて、3割ぐらいは手をあげる。どこの県かときかれたIが、山口、と答えると、私も、と洪水ちゃんが言う。ぼくも、とぼくも思ったが、ぼくは言わない。
思うに、常識的な振る舞いといっても、洪水ちゃんにはなんのことかわかんないよ、ひとつひとつの場面で、このようなときには、こういう態度がいいとか、ここではしゃべらないとか、ひとつひとつ言ってあげないとわからないよ。
と、息子が言う。おお。


その通りだと思うよ。広汎性発達障害の広汎性の意味は、汎化ができないということなのだ。すべての場面について、ひとつひとつ。具体的に。曖昧にではなく漠然とでもなく明瞭に。明文化して、なぜそうでなければならないかのきちんとした説明が、必要なんだけど、たいていの子はそれを省略されるから、何も教えられてないことについて、なぜ適切な振る舞いができないのかと責められて困惑する。

その子がわかるようなやり方では、何も教えられてないので、自分ルールで生きるわけだけど、自分ルールとまわりの天体のルールとの兼ね合いや、適切さ不適切さの判断について、教えてくれる人もいない、相談できるところもないまま、育ってゆかなければならないので、本当にしんどい。大人になって、死ぬかもしれないほど傷ついてようやくわかること、というのはある。人生が手遅れになっていなければラッキーだ。

とはいえ、とはいえ。話してわかるなら、話は簡単なので、話しても話しても話しても、通じなくて泣きそうな気持になることは、君に対してももちろんあるわけですけどね。

納得させてほしいツボ、があって、そのツボをはずされている以上は、何があっても納得できない仕組みになっている、と思う。そのかたくなさには、目に余る愚かさがあり、と同時に、何か尊厳がかかってる。なかなか、たどりつくに難しく思うのですけど、たどり着けると、楽しい、生きている醍醐味ほど楽しい、と思う。