壊音

「壊音」というタイトルの小説を、ずっと昔に読んだことがある、気がする。記憶は定かでないし、内容もなんにも思い出せない。たまさか立ち読みした文芸誌に載っていたんだろうか。たぶん、学生のころかな。壊音、という言葉を思い出した。

  夕焼けいろ 崩れそうな山も氾濫しそうな川もこわれそうなひとも
  すくってもすくってもなくならない土砂もかなしみもかなしみもかなしみも
                    /野樹かずみ

4年前の土砂災害のあと書いた。被災現場と同じような土地に暮らしている。山のふもと、川のほとり。あのあとしばらく、山という山は崩れそうに見え、川という川は氾濫しそう、人という人は、いつでも壊れてしまいそうに、見えた。
いままた、そんなふうに見える。

フィリピンの友人から心配のメールが来たりしたから、海外でもニュースになったのだと思う。フィリピンこそは、毎年の台風被害が深刻だと思う。ちょうど滞在しているときに台風にあったこともあるし、川沿いの家が壊されてゆくのも見た、昼も夜もいつまでもつづくあの雨音は、許してほしいと泣きたいほどだったけど、今回も4年前もフィリピンの雨を思い出した。激しくしつこい亜熱帯の雨の感じだ。

中学1年の夏、台風で床上浸水した。瓦も飛ばされて、雨漏りがひどかった。朝から弟と、鍋や洗面器をもって走り回ったけど、全然おいつかなかった。玄関から水が入ってきて、水位をあげてゆく。父と母が机の上に畳を上げていた。とうとう水が床上にきたころ、心配した叔父が水のなかを歩いてやってきた。私と弟と、連れられて祖母の家に避難することになった。腰まで水に浸かって歩いた。うまく歩けなくて、転んで泥水に頭からつかった。
しばらく歩くと、そこはもうふつうの雨の日で、振り向くと、私たちの家がある一画だけが、浸水していた。泥水のなかに浮かんでいた。あの取り残されたなかに父と母がいて、逃げてゆく私は頭まで泥水にまみれているが、100メートル先は、ただの雨の日だったのだ。
日常と悲劇の、紙一重の、でも決定的な断絶、を最初に感覚した経験だった気がする。
豪雨災害の映像を見ていたら、あのときの水のなかを歩いたときの、歩けなさ、泥水に沈んだときの感覚がよみがえってきた。流れがなかったから、転んでも起き上がれた、というか叔父が引き上げてくれたのだが、流れがあったら無理だったかもしれない、と今になって気づく。
祖母の家でお風呂に入った。家が片付くまで、1週間ほど祖母の家で暮らした。水のなかを歩いたあと、体中にぶつぶつ赤い湿疹が出て、かゆくてしょうがなかったのを覚えている。誰にも言わずに我慢したのか、誰かに言ったけど大人たちそれどころでなかったのか、とにかく放っておかれた。そのうち消えたと思うけど、全身ぶつぶつが、不安だった。

いまも、我慢している小さいひとたちが、たくさんいるだろうなと思う。報道されていない被害もたくさんあると思う。


愛媛は特別警報が出るのが遅かったと思う。出たときはもう、崩れたり氾濫したりしていた。蜜柑山の崩落の写真は胸に刺さった。車窓から、あの蜜柑山とあの海が見えると、ふるさとだ、という気持ちがした。私がそこにいなくても、そこにあってほしい幸福、そこにいない私のために、そこにあってほしい景色だったと、思う。

宇和島の夏のお祭りは中止になったらしい。私たちの夏休みの帰省も、鉄道では帰れないだろう。青春18きっぷを買わない夏休みになりそうだ。

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向かいの森は、すっかり夏の山。もう水の音も聞こえず、ロダンの池にも水はなく、水路も乾いている。