夏の旅 フィリピン 6 

 

 

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7月31日。

学校の裏から見えるゴミの山。草におおわれているから、知らない人は本物の山と思うが、ゴミでできている。20数年前、はじめて来た頃は、平らかだった。レティ先生がここに来た頃は、いちめん田んぼだった。

朝、子どもを連れてくるお母さんたちのなかに、隣人のカンデラリアのお母さんがいる。20数年前にはじめてあった頃に、8人ほども子どもたちがいたから、ずっと年上のおばさんの気がしたけれど、実は数歳しか違わない。以前は彼女の子どもたちが、パアラランに通っていた。いまは娘の子どもたちが2人、男の子と女の子が、通っている。
学校前のテラスでは、お母さんたちがしばらくの間、おしゃべりをしていく。情報交換の場でもあるのだった。

 

息子とふたりで、ジプニーに乗ってエラプまで行く。先日撮り忘れていた校舎の写真。奨学生のジェイペロウとライジェルが来ている。

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教室では、ベイビー先生の孫(娘のエライジャンの息子)のPJ(2歳)がうろうろしていて、息子のあとについてゆく。「どうしよう。ぼくは子どもとどうやって遊んでいいかわからない」と言う。たしかに。そういう経験はしてきていない。それでも、抱っこはしてあげたみたいだった。
PJはもうアルファベットが読める。
エライジャンは去年生まれたシャナという名前の女の赤ちゃんを抱いて、キッチンにすわっていた。私はエライジャンを生後3か月のときから知っているけど、そのころのエライジャンによく似ている。「ほら、ロラ(おばあちゃん)ですよ」と私はすっかりおばあちゃん扱いだった。

お昼ご飯のあと、エライジャンの姉のチャイリンが来て、私の髪を切ってくれる。いま、ヘアカットの勉強をしているんだそうだ。フィリピンで散髪すると50ペソ(100円あまり)ですむから、フィリピンで切ればいいよ、と息子に言ったら、彼もその気だったが、マニラに来て思い直した。男の人たち刈上げ頭がとても多い。刈上げはいやだ。
「少しだけ切ってあげるよ」というチャイリンの言葉を信じて、切ってもらう。ほんとうに少しだけ、切ってくれた。
息子、「なかなかいいよ」と私に向かってぼそぼそいう。気に入ったなら気に入ったと、はっきり言えばいいのに、と言うと、なんて言っていいかわからない、などと言う。アイライクディス、でいいんでね? そんなの私でも言える。
でも恥ずかしくて言えないのだ。「彼女は、いい美容師さんになると思う」とあとでまた、私にぼそぼそ言う。

昼休み、ジェイペロウが、子どもたちのノートの準備をしている。文字や数字をなぞって書けるように、赤い点線の文字を書き込んでいるのだ。一冊ずつ。それならできそうなので、息子、手伝う。ジェイペロウ、気持ちよくどさっとノートをくれる。

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午後のクラスの子たちがやってくる。ジェイペロウは絵のすごく上手な女の子だけど、子どもの扱い方も上手で、お遊戯するのに、ジェイペロウが前で踊ると、子どもたちが盛り上がる。そのなかでも、決して踊らない、歌わない子が1クラスにひとりはいて、息子は階段にすわってその子たちを見つめている。

私たちはチャイリンと一緒にモンタルバンの市場までお買い物。息子のズボンを買う。着るものはとても安いので。たくさんの小さなお店がひしめくなかに潜り込んで、あれでもないこれでもないと探すのは、面白い。暑かったけど。

それからジプニーでパヤタスに戻る。ジプニーを降りた近くに、レティ先生の姪の、マジョリーのサリサリストアがある。のぞいたら、娘のジェシカとエイエがいて、ママは家だから、と家まで一緒に行く。ジェシカは半年前に女の子を産んで、チェチェという名前、マジョリーはロラ(おばあさん)になった。私も当然、ロラと呼ばれるわけだった。
マジョリーのいまの悩みは、ジェシカが赤ちゃんの面倒を見ながらできる仕事はないだろうか、ということだ。それは、日本でもとても難しい問題だ。

エイエは高校生。フィリピンの教育改革で、ハイスクールが4年から6年間に伸びた。それはよかったねと言うと、子どもたちにとってはいいのかもしれないけど、そのあとカレッジに行かせなければいけないし、卒業が2年間も伸びるのは、親としてはしんどい、とマジョリー。

赤ちゃんが生まれる。結婚したの?とか、夫は?とかは聞かないことにしている。たまたま耳に入ってくるのでなければ、詮索する必要のあることでもないのだ。結婚はしていないかもしれないし、夫はいても働かないかもしれないし。
大切なのは、赤ちゃんの存在を全力で喜ぶことだけ。そう思う。ここにいると、そういうことがよくわかる。

おやつに買ってくれたバナナキュー(揚げたバナナに砂糖をまぶしたもの)がおいしかった。レティ先生のぶんのバナナキューをもって、学校に戻る。


戻ると、ちょうど午後のクラスが終わったところで、数人の子が残って、先生たちと掃除していた。アイヴァンもいて、箒をもって働いている。
「見れば見るほど似ている」と息子。「ふだんはぼーっとして、なんにもしないでひとりの世界にいるくせに、箒とかもたされると、妙にはりきって、掃除したりするところも、なんかそっくり」と自分で言う。ほんとに。そっくり。
子どもたちが帰っていく。
バイバイ、アイヴァン。来年また会えるかわからないけど、よい人生をね。
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イエン先生とアリーアと一緒に、ダンプサイトを見に行く。坂道を降りる。ジャンクショップがあり、ゴミから発電をしているという発電所がある。パアララン・パンタオの旧校舎があったあたりは草の中。ずっと降りていく。いちめんの草のなかで、ヤギが草を食べていて、あとで写真だけ見たら、秋吉台がどこかの風景にも見えそうなほど。大きな大きな草の山が広がっている。
ふもとの集落を歩く。ところどころぬかるんだ道。たいていの家には窓ガラスはない。いまきみが歩いているのは、たぶんマニラでも最も貧しい地域のひとつだ。

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放課後の教室で、イエン、リサ、マイク先生、アリーアとおしゃべり。勉強している日本語のこととか、フィリピンの小学校のこととか。
私のシャイな息子は、アイヴァンそっくりだったこととか。

たぶんアイヴァンみたいな子にとって、小学校にあがる前に、何年間か小さいクラスで、落ち着いて過ごすという体験はとても大切だと思う。パアラランは、アリーアみたいにアシスタントの先生もいるから、アイヴァンにはとてもいいと思う。
小学校はクラスの人数多いでしょ?と聞いたら、1クラス60人か70人くらいいるらしい。先生たちは、叫ばないといけないから、のどがつぶれてしまうらしい。ドロップアウトする子も多いし、先生たちもそういった子のフォローができない。

これまでもアイヴァンのような子はいたはずで、そういうとき、レティ先生は、小学校に通う年齢になっても、もう一年ここに通わせるように、親たちに言っていた。

貧困の連鎖を断ち切るためには、3歳から5歳の幼児教育がもっとも効果的、と言われている。それはもう実感として、よくわかる。そしてアイヴァンみたいな子が、これからなんとかやっていけるために、パアララン・パンタオの2年か3年はとても大切だ。学校で、みんなとの活動に参加できるために、ほかの子より少し時間がかかり、少し余分なステップが必要なのだが、少しの適切なケアがあることで、乗り越えてゆけることも多い。

息子は、すっかりアイヴァンがお気に入りだ。「アイヴァンは大物になるよ。この学校から、スペシャルな人、プレジデントとか、そういう人が出てきたってことになるかもしれないよ」などと言う。
アイヴァンのことより、私は、君が君自身をなんとか成長させてくれるとうれしいと思うよ。きみが、しっかりした大人になることができたら、それがアイヴァンの希望になるよ。

夜ご飯のあと、息子は、滞在中に一日数行ずつくらい、英語で書いていた日記を、読んで、レティ先生に聞いてもらった。とても立派だとほめてもらっていた。
マニラの交通事情はエキサイティングで、ダンプサイトは、信じられない光景だ。
ダンプサイトを歩いてきたので、息子もすこしは想像できるだろう。レティ先生と昔の話をする。ゴミの山がどんなだったか、蠅がどんなたにたくさんいたか。そんななかで、子どもたちがどんなふうに働いていたか。
面白いのは、やはり、いろんな失敗談で、私の失敗談となると、息子、目を輝かして聞いている。いやなやつ。
「過ぎたことだよ」とレティ先生が言うと、
「じゃあ、なかったということで」と息子が応じているのが、おかしかった。

「あのさ、ママ。ママは、僕に、みんなにどんなにお世話になっているか考えなさいって言ったけど、ママのほうこそ、ものすごくお世話になってきたんじゃないの」と息子は言った。
いいことに気づいたね。だからきみは、母がたくさんお世話になりましてありがとうございますって言わなきゃ、って言ったら、言っていた。
「母を助けてくれてありがとうございます」
するとレティ先生は言った。
「彼女も私を助けてる。彼女は私の娘のようなもので、きみは私の孫だから、またおいで」
ありがとうございます。息子はとてもいい経験ができた。
もう、ぼくのキャパシティをとっくに超えている、と言っていたが。

8月1日。

早朝4時半、ジュリアンが迎えに来てくれる。
渋滞の前に空港まで行ってしまいたい。それでも場所によっては、こんな早い時間でも混んでいるのだった。1時間で空港に到着。
午後、福岡について、外に出ると、信じられないほど暑い。

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パヤタス校近くのサリサリストア