星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

夏の旅 宇和島 2

7月9日。父を誘って愛南町までドライブ。紫電改の展示館があって、ロープウェー跡があるところまで。それからさらに、海のほう、外泊の石垣の里まで。

空も海も青いし、山は緑だし、正しい夏休みの色だ。夏休みの宿題の絵をかくと、青と緑の絵の具がいつも足りなくなった。

紫電改展示館は山の上にあって、リアス式海岸がきれいに見下ろせた。どうして、こんなに美しい古郷を出ていかなければならなかったか、せっかくの当たりくじを、ハズレくじと交換してしまったことに気づいた子どものような気持ちがする。思ってせんないことでした。

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紫電改。昭和54年に豊後水道から引き揚げられたのが、展示されている。初めて見る。近くには、海の上を渡るロープウェー跡がある。(昔、一時期は運転していたこともあったのか。南予レクリエーションなんとかの構想など、私が郷里を離れてからのことなので、なんにも知らないのだった)

それから展望台がある。展望台は運転していて、360度回転しながら、リアス式海岸を一望できる。遠く九州まで見えた。これは素晴らしかった。春は眼下の山が、ソメイヨシノと山桜で美しいそうです。

展望台付近に、咲いているのは、沖縄デイゴだと職員さんが教えてくれた。

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 それから、外泊の石垣の里を目指して走る。父が、昔このあたりで、バスを乗り間違えたことに気づいて、降りたあと長い道を歩いたとか、まだ道が舗装されてなかったころ、自転車で走ったとか、昔を思い出してなつかしそうだった。
海辺にお墓。

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石垣の里は、いつ頃から知られるようになったんだろう。私ははじめて来る。映像で見た記憶で印象に残っているのは、70年代かな、の映画『旅の記憶』の一場面。石垣の間の道を、葬儀の列が歩いていく場面だった、と思う。あの頃の南予の風景を堪能させてくれる映画。主題歌は、吉田拓郎の「私は今日まで生きてみました♪」だった。
父は、10年ぶりか20年ぶりかで来たらしいのだが、いや、ここじゃない、こことは別に、もっと違う石垣の部落があるはずだ、と言う。いや、ここでいいと思うよ。たぶん、印象が違っているのだろう。歩いてみると、空き地になっているところも多い。

 

 

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いい思い出ができたと、父が言う。ひとりでは出かけることもなさそうだから、誘ってよかったかな。疲れさせるかと思ったけど、暑いなか、私たちより元気そうだった。父を家まで送って、それから駅に向かう。

予土線予讃線も不通だが、終着駅には列車が止まっているからそれを見に行くって。
予土線のトロッコとホビー列車(新幹線のはりぼて)と予讃線の「みきゃん」がいた。と、そこに、不通で走っていないはずの線路を、アンパンマン(特急列車)がやってくる。息子が大喜び。普段あり得ない編成で走っている。たぶん翌日から予土線が復旧するので、その試運転なのだろう、と言う。

そのあと、兄や叔父たちと焼き肉食べに行く。そのあと、私は高校時代の友だちとファミレスでお茶。

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その翌日の10日。早朝から、息子はひとりで起きてホテルを出て、復旧した予土線の始発を撮りに行った。始発は新幹線だったらしい。
兄と朝ごはん食べて、父に挨拶して、叔父さんたちからお土産もらって(釣った魚の一夜干しとじゃこ天)帰路につく。

四国を出てしまなみ海道渡るまでは順調だったんだけど、山陽道が、事後で渋滞、それで高速降りると一般道もまた渋滞。豪雨災害の傷跡が、まだ生々しく残る道を、のろのろと帰った。