とりつくしま

お正月の読書は、カレル・チャペックの「長い長い郵便屋さんのお話」と、東直子さんの「とりつくしま」。楽しいこころよい物語だった。
「とりつくしま」はまず息子が読んだ。死んだ人の魂が、生前親しかった人の身近なモノにとりついて、その人の近くに戻るっていう話なんだけど。そうやって「とりつくしま」にとりついて見る世界が、生きているときに見えるのとは違った新鮮さで、なかなか奥行きがあって、いいのだ。


それで、冬休みなので、息子を好きなだけ寝かせてやろうと思ったら、たちまち、昼まで寝る、夕方まで寝る、昼夜逆転する、みたいなことになって、
宿題も容赦なくあるなか、怠けっぷりがもう、母そっくりで、なんかもうざわざわと不安になってくる。そんな怠け方とかごまかし方とか、そんなことしてたら、明日から仕事なくなるよ、人生こわれるよ、とか思わず言っていたら、息子、
「ぼくが怠けてるのは、家だからだよ。ママ、ぼくのシャーペンを゛とりつくしま゛にして、学校に来てみ、ちゃんとやってるから」
というのだった。
おお。
それやりたい。わたし、あんたのシャーペンにとりついて、学校についていって、あんたが何やってるか、まわりの子どもたちがどんなか、眺めてみたい。
わたし、あんたのシャーペンにぜひ、とりつきたい。
とりつくとりつく。
あ、死ぬのはいやだけど。

死んでしまったのは、ラディッシュ
冬休み最終日。終わってない宿題が、あるわけだった。
ラディッシュの生育記録とか。でも、ラディッシュそもそも育たなかったみたいだ。冬休みになって学校から持って帰ったときには、双葉のまますでに萎びていた。なので、失敗の要因を考える、という内容でレポートをまとめていた。「この失敗を省みて、研鑽に努めたい」そうです。