花咲く乙女たちの

本棚の奥の奥のほうの埃のなかから探しだした。なつかしすぎて、さわる指がふるえそう。

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1月29日に橋本治さんが亡くなったという記事を見た。高校生のとき好きだった。
あの頃、「だっくす」のちに「ぱふ」という漫画専門誌が出ていて、なぜか四国の田舎で買うことができた。漫画評論というものをはじめて読んだ。橋本治さんの連載は、「だっくす」に載っていた頃から読んでいて、それが本になるというので、たぶん注文して買った。
『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』を、私は号泣して読んだ。あの本は特別だった。本を買った本屋のことも、本を読んだ狭い板の間の勉強部屋のことも思い出せる。あの本が、教えてくれたのは、私には、私の、コトバがあるかもしれない、ということだった気がする。
大島弓子の「バナナブレッドのプティング」と「綿の国星」のくだりあたり。
受け取ったのは、簡単に言えば、「私は私に」という、短い言葉であったと思うのだけれど、たったそれだけで、15歳か16歳だった私は、大泣きすることができたのだ。たったそれだけの言葉が欠けていたのだ。

あのときはほんとうに、お世話になりました。本当にありがとうこざいました。

そういえば、高校の修学旅行で、東京の自由行動で「ぱふ」の編集部に行ったのだった。新宿のどこだかわからないどこか。アパートの一室だった。お菓子もらって食べた。この子たち何?みたいなことだったと思うんだけど、ほんとに、挨拶もできない子どもだった。

キンピラゴボウの前編と、「だっくす」の樹村みのり特集は、友だちに貸したら返ってこなかった。高校を卒業してしまうと、会うこともなかった。20年もそれ以上も過ぎて、はじめて同窓会に帰ったときに、彼女が亡くなっていることを知った。詳しい消息は誰も知らなかった。貸した本はもう帰ってこない。そのあと、ネットで古書を探して、買いなおした。何を、呼び戻したかったのか、わかんないんだけど。

千秋ちゃんとは、たまに本が、行ったり来たりするだけで、ほとんど何も話したことはなかった。言葉を交わせる友だちのほかに、言葉を交わせない友だち、もいたのだ。

高校まで暮らしていた家もなくなり、商店街にあった本屋もなくなり、もうすべて、私の記憶のなかにしかない、ということが、どうにも納得しがたいんだけど。ほんとうに消えてしまった。


いまも春になると、花の名前を唱えて「なんてすごい、なんてすごい季節でしょう」と脳内ナレーションが流れる。あの本の最後のほうのページに、まるごと引用されていた「綿の国星」の場面。

話変わって古今和歌集。NHKブックス『「古今和歌集」の創造力」』面白かった。紀貫之は天才だよねと今更ながら。

「桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける」(紀貫之

「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして」(在原業平