2019春の旅 1日め ムーンライトながら

24日午前5時、始発駅から始発で出発。息子とふたりの青春18きっぷの旅の1日め。

f:id:kazumi_nogi:20190329150534j:plain

駅に着く度、乗り換えの度に、息子はカメラをもってあれこれの電車をとってまわる。それでも彼の頭の中には、乗り換えの時刻やホームや路線がちゃんと入っているので、私はあとをついていけばいいだけ。あとをついていく。
昼前に神戸着。中華街でごはん食べてメリケンパークへ行く。以前ここに来たとき、斜めになっている街灯を遠くから見て、神戸というオシャレな街だからこんな街灯もあるのかしらと思ったけど、近づいてみたらそれは震災の遺構なのだった。

f:id:kazumi_nogi:20190329150654j:plain f:id:kazumi_nogi:20190329150737j:plain


地下鉄に(端から端まで)乗って、鉄人28号を見に行く。28号の下では、昭和歌謡ショーなるものが行われていて、市民のカラオケ大会? 「赤いスイトピー」や「つぐない」や「22歳の別れ」を聞いた。
それから京都へ向かうのが、JR人身事故でストップというので、私鉄で行く。行先も京都駅から河原町にかわったんだけど、いやいや人の多いこと。桜まだ蕾。

f:id:kazumi_nogi:20190329150909j:plain f:id:kazumi_nogi:20190329150941j:plain


河津さんに見つけてもらって、観光列車「比叡」に乗りにゆく。夕暮れ、川沿いを歩くのが気持ちよかった。出町柳商店街の頭上の鯖。鯖街道だったのか。これくらいの規模の商店街が生き生きしている感じなのはいいなあと思った。

f:id:kazumi_nogi:20190329152858j:plain f:id:kazumi_nogi:20190329152922j:plain

それから大垣へ。

1993年の3月だった。26年前なのかー。この駅のホームで日本に出稼ぎに来ていたペルー人一家に出会った。夜汽車の同じ席に乗り合わせた。そのことは、以前、河津さんとした詩と短歌のコラボ「christmas mountain わたしたちの路地」にも書いた気がする。ジェシカの赤いランドセルのこと、あたたかい夜汽車の家族のこと。
ジェシカのお母さんが日系3世だったと思う。若い夫婦と7歳のジェシカの、家族3人、尼崎から厚木へ、仕事を探して友だちを頼って行くところだった。ジェシカは明るい女の子で、家族の喜びだった。あんなに楽しそうな女の子に出会えたなんて、いまも奇跡のように思える。私はジェシカと朝までトランプして遊びながら、家族ってこんなに暖かいものなのか、とか、楽しいという気持ちってなんて久しぶりだろう、とか思っていたのだった。そのときの私が思い出すこともできなくなっていた幸せ──。
ジェシカの明るさは、離れた席の人たちにも伝わっていた。厚木あたりで一家が列車を降りて、ホームでジェシカがこちらに手を振ってくれたとき、車両のほかの席の人たちも、ジェシカに手を振っていたことを、あの暖かい夢のような光景を、いまもありありと思い出せる。

f:id:kazumi_nogi:20190329152447j:plain

26年ぶりの夜の大垣駅のホーム。ここから「ムーンライトながら」で東京へ行く、と息子が言ったので、今回の旅が始まったのだった。
しかし、眠れないわ体は痛いわ、なかなか過酷な夜汽車の旅──。