新緑

一雨ごとに季節が移る。
朝、庭に出たら、向かいの森の新緑と、庭のチューリップが鮮やかだ。

f:id:kazumi_nogi:20190425205515j:plain

昨日は雨のなか、授業参観。受付でクラス名簿に〇をつけたとき、そういえば今年は、クラス通信にも、クラスの生徒たちの名前がなかったと思う。つまり、クラスの生徒たちの名前を知らないのだ。私はもちろん、息子も。そしてこの「息子も」というところが問題なのである。
で、名簿をもらえないか、そこにいた先生にきいてみる。それは担任に聞いてみないと、と探しに行ってくださるが、担任はいなかった、ので伝言だけ託した。

息子は(それから私も)人の名前と顔を覚えるのが苦手みたいなのだ。自分には自分があたりまえなので、私はずっと苦手に気づかずに過ごしてきていたわけだけど、息子が小学生になって、クラスの子たちに叩かれたり、バカとか死ねとか言われて帰ってきて、誰にされたの? ときいても「わからない」というのは困った。
そこでクラス名簿をみながら、番号と名前と、日ごろの教室でのエピソードとを結びつけて、あれこれあだ名もつけて、クラスメートの名前と顔を覚えるように意識させた。それでも、かたくなに、名前を呼ばず、番号でだけ呼んでいた低学年のころ、息子をいじめて、番号でいいつけられた女子たちが、自分たちを番号で呼んだということを理由にまたいじめたりしてたけど。
そういったことに対応するために、クラス名簿は必須だったのだが。
去年まではクラス通信で、名簿もらってたんだけどな、だいたい6年間一緒ですでに4年目なら、学年の生徒数も少ないし、生徒たちは誰が誰だかよくわかっているから、必要ない、という判断なのかもしれないんだけど。
もう高校生だし、いじめがあるような環境でもないし、私が心配することでもないんだけど。
息子も、そのうち、たぶん1年一緒に過ごしているうちには、クラスの3分の2を占める女子たちの顔も名前もはっきりわかってくると思うし。
で、教室に行って、よくわかった。女子は人数が多い上に、髪型とか眼鏡とか、雰囲気とか、よく似ている。なるほどこれはハードルが高い。しかも、女子の名前はややこしい。難しいと思うよ。

人の名前と顔を覚えるのが難しいのは、視覚過敏に由来する。でもそういうことは、最近まで全然わからなかったから、私は長い間ずっと、自分が人としてどこか駄目なんだろうと、漠然と不安だった。
私は、クラスメイトの名前も顔もよくわからないままに、小学校から大学まで過ごしてきて、ごく親しかった人たち以外は誰が同じクラスにいたか、名前も顔もほとんど覚えていない。あるとき同窓会に行って、なぜみんながそんなに同級生たちのことを覚えているのか、とても不思議だった。
で。誰が誰か、全然わからない同級生ばかりの同窓会で、初めて見る名前、初めて見る顔みたいに思われる、誰か知らない人、を、なんとなく知っている人、なつかしい名前なつかしい顔、にこっそり落とし込む作業は、なかなかスリリングだったのだ。

でも、すこしの努力と少しの工夫でなんとかなることも多い。工夫が必要だと、気づければの話だが。

今日はお隣の奥さん(10歳ほど年上のお姉さん)から、蕨もらった。うれしすぎる。

f:id:kazumi_nogi:20190425220215j:plain

子どものころ、蕨摘みは春の日課だった。毎日毎日、卵とじ食べていた。
たぶん、私たちは似ているのだろうと、うすうす、お互い勘づきながら、言葉少なく、でもこころよく、隣人している。