パアララン 2

8月2日。未明、豪雨。雨の音で目が覚める。横に、何か気配があるなと思ったら、グレースの犬のウィスキーが寝ていた。雨季なのだ。気候変動はグローバルに起きていて、フィリピンの気候も昔とは変わってきたとレティ先生は言ったが、雨季は雨季なのだ。ときどき激しい雨が降る。滞在中、連日夜中に、スコールがきた。

早朝、ジェシカが娘のチェチェを抱いてやってくる。マジョリー(ジェシカの母、レティ先生の姪)からの差し入れのパンシット(米麺の焼きそば)とルガウ(おかゆ)もって。
チェチェはしきりに指差しをしていたから、1歳半くらいになったのか。私がはじめてジェシカに会ったとき、ジェシカは2歳だった。マジョリーはパアラランの先生をしていて、ジェシカを抱いて子連れ出勤していた。あれから24年が過ぎたのだ。世代が移った。「昔、ジェシカがチェチェみたいだったのに」

早朝、雨だったせいで、子どもたちの数は少ない。12人ほど。この日のテーマは、フィーリング。気持ちをあらわす、言葉の学習。英語とタガログ語で。
この日のアシスタントの奨学生、ジョン・ポールは初等教育専攻の4年生。
エラプ校に行くというと、レティ先生がマイケルを案内につけてくれる。ひとりで行けるのだが、私だけでなく息子もいるし、しかも夫は日本にいるので、いろいろ気を使ってくれるのだった。「パパはどうしているの」「パパは日本で、レイジー(怠けもの)な息子とクレイジーな妻がいなくて、平和だと思うよ」と話しては笑ったが。
(実際は、去年も今年も、パパは息子のことが心配でしょうがなかったらしい)
ジプニーに乗る。ジプニー大好き。窓から、ごみの山の全景が見えるポイントがあるのだが、反対側にすわったので見えなくて残念。でも、見えても、すでに、ただの山にしか見えないだろう。すっかり草におおわれて。

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 エラプ校まで30分ほど。
今年エラプ校の先生は、責任者のベイビー先生のほかに、二人しかいない。レイレ先生とマイク先生。クラスがどれだけあって、生徒が何人いて、ということを、インタビューしてメモしてね、と息子に頼んだが、息子が、言い終わる前に、すべてを察したマイクが、次々話してくれるが、これが、息子は聞き取れない。訛りが強い、そうだ。
ああなるほど。英語が絶望的に苦手なまま、こんなところに通うことになった私は、英単語もタガログ単語も区別つかないまま、文法もないまま、必要単語を並べて察してもらって、なんとなくやりとりしているが、、。
マイクが、必要事項全部、メモしてくれる。すばらしい。
2人の先生(と奨学生1人か2人)で、78人の子どもたちを見ている。午前中に2セクション、午後1セクションの計3セクション。

午前8-10時 アップル・セクション 3-4歳 25人が登録。

午前10:30-12:30 オレンジ・セクション 4歳1か月-4歳5か月 25人が登録。

午後1:30-3:30 バナナ・セクション 4歳半-5歳 28人が登録。

レイレ先生は英語と理科、マイク先生は、算数とフィリピン語を担当。ベイビー先生や奨学生たちがサポートする。という体制。カリキュラムはパヤタス校と一緒。
とにかくそれで、2校あわせて138人の子どもたちを受け入れている。
工夫に工夫を重ねて、というほかない。

子どもたち、自分の名前の書き取りの練習をしていた。先生がかいてくれた点線をなぞる。

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ベイビー先生の孫のPJという男の子3歳が、私の息子のあとをついてまわる。息子、去年は、「ぼくは小さい子とどうやって遊んでいいかわからない」と困っていたが、今年は、ふたりで、ミニカーを走らせたり、ペットボトルのキャップを投げたり、それなりになごやかに遊んでいた。

日本で、バザーで販売するために、ジュースパックやお菓子の袋でつくった小物を仕入れて帰る。エラプ校の3階は、お母さんたちが小物をつくる作業所として使われている。雨のなか、ベイビー先生が母親たちに連絡して、4人ほどが、商品をもってきてくれる。私も予算がなくて、ほんとに少しずつしか買えなかったんだけど。
商品の作製には、母親たちの自立支援ということで、日本のNPOハロハロさんが取り組んでいる。インターンの学生たちは、休日に奨学生たちに日本語を教える、ということもしている。


お昼ごはんは、ベイビー先生がバングースのフライを出してくれた。
ベイビー先生の次女のチャイリンは、髪を切るのが上手で、ベイビー先生もレティ先生も、チャイリンに髪を切ってもらっている。私も、ここでチャイリンに切ってもらって帰る。

エラプ校の隣には、レティ先生の次女のジンジン一家が住んでいる。庭に息子のライジェルがいたので声をかけたら、なかからジンジンが出てきてくれた。ジンジンは、私の息子に、あなたのママはとても親切で、フィリピンの子どもたちを長い間助けてくれているよ、ときれいな英語で言ってくれる。が、その話は息子の耳を素通りして、彼の耳に残ったのは、「ガールフレンド5人くらいできるよ」と、ジンジンが言ってくれたことであった。
しかし、女の子に「ハロー」も言えない男子が、どうやってガールフレンド……と私は思う。

帰りは息子とふたり、ジプニーでパヤタスに帰る。
帰ると、ロイダさん来ている。私が注文を出す、リサイクルバッグのほとんどをつくってくれているのはロイダさんだが、5月にお母さんが6月にご主人が亡くなったと聞いていたから、とても製作どころではないと思っていた。でも、9割がた仕上げて、もってきてくれている。一緒にロイダさんのところへ。亡くなった夫は、去年来たとき、生きている虫たちを、食べるか、とすすめてくれて、私の息子を仰天させていたが。入り口に小さなスロープができているのは、車いすのためだったのだろう。目が見えなくなってもいたらしい。

学校に戻って、それからイエン先生とジョン・ポールと一緒に、ダンプサイトに行く。ゴミ山は閉鎖されているが、周辺はまだ、以前のままで、エラプ近くのゴミ山とここを行ったり来たりしながら、ゴミ回収の仕事を続けている人も多い。

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写真だけ見たら、きれいな緑の草原だが、ヤギたちがいるこの草原も、山も、全部ごみの堆積でつくられた光景なのだ。かつて、ここにどんな光景があったか、私はありありと思い出すんだけど。ゴム草履のままの子どもたちが、ゴミを拾っていたことなんかも。たちのぼる無数の蠅たちのことも。臭いもぬかるみも。
雨上がりで、そこそこ道もぬかるんでいる。
みじめさ、の成分は、ひもじいこと、寒いこと、それに、ぬかるみのなかをあるく気持ちもそうだな、とふと思う。
ふもとの集落をまわる。マニラで、最も貧しい地域のひとつ、そのごみ山のすぐ傍らの集落からも、子どもたちが通ってきている。夕暮れ、狭い路地で、子どもたちが縄跳びしたり、メンコしたり、遊んでいる。「昭和の時代は、日本もこんなだったのかな」と息子が言う。きみのおじいちゃんが子どもだったころにはね。

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路地の後ろの山は、ゴミの山。

私には、まだ、すこしはノスタルジアにつながるところもありそうな光景だが、息子には、ひたすら不思議な奇妙な景色のようだった。夕暮れに、路地で子どもが遊んで、少年たちがバスケットしたり、大人たちがすわりこんでおしゃべりしたり、という景色。

それから、バランガイ(行政の最小単位)センターに行く。
パアラランの最初の奨学生だったレイナルドがここで働いている。ちょうどパトロールに出ているというので、オフィスに入ったら、オフィスの奥に鉄格子があって、なかで男が寝ている。牢屋?と息子がきいたら、イエス、とイエンが答えたけど、とりあえず、留置しているみたいかも。
オフィスにいたスタッフの女性は日本語ができた。姉妹が、神奈川にいるらしい。彼女自身も3年間日本で働いていたらしい。
レイナルドが帰ってくるまでに、マジョリーのサリサリストアに行くことにした。途中で、ジュリアンの奥さんのモッチと娘のサビエンヌに会った、サビエンヌは小学校1年生になった。背が伸びて眼鏡かけて、なんかすごく大人びた。

マジョリーのことを、去年会ったのに、息子は覚えていなかった。でも、おやつにバナナキューもらったよ、と言うと思い出していたが。ジェシカはいまダンキンドーナツで働いている。妹のエイエが、店の仕事やジェシカの娘の世話を手伝っている。
レイナルドは、よく通学時間に、通りでパトロールをしているよと言う。レイナルドがバランガイで働きはじめたのをきっかけに、レイナルドの弟妹たち4人ほどもバランガイで仕事を得たらしい。25年ほど前、田舎の家を台風で失って、マニラに出てきて、ゴミ山のふもとに住みついた一家だった。兄弟はたしか8人ほどいた。レイナルドはパアラランで勉強を再開して、大学は首席で卒業した。
バランガイセンターにもどると、レイナルドが戻ってきていて、パアラランまで、パトロールカーに乗せて送っていってくれるという。おお、すばらしい。
レイナルドのバイクに先導されて、私たち4人パトロールカーに乗って、ふもとの集落のなかを抜けて、パアラランまで戻る。

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レイナルドは3人の息子と1人の娘がいて、娘はいま小学校1年生。以前パアラランに通っていたが、際立って賢い女の子だったので、とても印象に残っている。

 

一度、家に戻ったレイナルドが、野菜の料理をもってきてくれる。見た目、つくだ煮っぽい。葉っぱをココナッツミルクと謎のスパイスで煮込んだもの。昔、レイナルドが料理を作ってくれたことが何度かあるが、なつかしいレイナルド・テイストだ。ココナッツミルクの料理。


夜、レティ先生と、学校の経費の話など。フィリピン経済はずいぶんよくなっているよね?と言うと、「そう言われてるけどね。私は全然そう思わないよ」と言う。然り。この地域の貧困はあいかわらずのようだし、何よりパアラランの困窮はとても切実。電気と水代もあがって、学校の諸経費の支払いが、ほんとうに厳しい。
どんなに少なくても、1万ドルはなければ、学校の運営は成り立たない。そして、とにかく先生の給料をあげて、壊れた屋根をなおして、新しい扇風機もいるし、採光の悪いのもなんとかしたいし、、、と考えると、あと1万ドルは欲しい。というような話をしていて、長い間、支援してもらったけれど、亡くなってしまったスポンサーさんの話なんかもしていたんだけど、どういう話の展開だったのか、私の息子が大人になったら、寄付してくれる、という話になった。1万ドル。
すると息子、そんなの無理、とか言うこともなく、えええ、と驚きもせず、「10年待て。だから元気で長生きしていてください」とレティ先生に言う。それから「1万ドルか。きついな」とぼそっとつぶやいているのが、なんかおかしい。