パアララン 3

8月3日。深夜まで通りは人の声でにぎやかだ。人の声の鎮まった未明から早朝に豪雨。夜、激しい雨の音を聞くのは、疲れる。私の右側では、息子が軽い寝息をたて、私の左側では、犬のウィスキーが、寝息をたてている。ぐーすー。やがて、雨にも負けず、鶏の鳴き声。

土曜日はどうするか。私は、去年行けなかったナショナルミュージアムに行けないかな、と提案してみたけれど、週末の街なかは、トラフィック(交通渋滞)だし、こんなに雨が降ってはいろんなところが水浸しだし、運転したくない、とジュリアンが言うので却下。で、手軽なところで、ジュリアンが私と息子をショッピングセンターまでお買い物に連れていってくれることになった。
もうね、マニラの街はいつでもどこでもトラフィックなので、どこへ出かけるのも、ストレスのかかることだった。
SMに行く。20数年前、郊外の空地のなかにできたショッピングセンターだったが、いまは、あたりは大きな街になっている。近くにはLRTも建設中。

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まず、バザー用とお土産用のドライマンゴーを探してうろうろ。それから私のサンダルを探してうろうろ。パパのお土産を探してうろうろ。ごはんはフードコートでピザ食べた。子ども向けのトレインが走っていたり、メリーゴーランドや観覧車がまわっていたり、休日に家族が遊びに来るような場所になっている。小さい子たちを遊ばせられる。
それから、息子は本屋をはしごして、何を探していたかというと、英訳のコミックス。高橋留美子のを1冊見つけていた。本、安くない。
本の品揃えはあんまりないが、どんな本屋にも、いろんな種類があるのが、バイブル。本とは、まずもって聖書のことだったのだなあと、思う。

SMから帰ると、パヤタス校では、イエン先生とレイレ先生が、テラスで洗濯。レティ先生一家の一週間分をまとめて洗濯。レティ先生は車いすだし、グレースもクレアアンも忙しいので、手伝ってもらっているのだろう。
キッチンでは、リサ先生が書類を整理している。リサ先生はようやく試験に受かって高校の先生になったが、いまも休日などはパアラランに来て、パアラランと外部とのマネジメントや各種書類の作成などを担当している。

新しい仕事はどう?と聞いたら、「とってもストレスフル」だって。
フィリピンの学校は、午前と午後の二部制。小学校も高校も、午前のクラスなら、昼には帰るし、午後のクラスなら、昼から登校する。
リサは高校で音楽を教えている。午前のクラスが担当なので、早朝6時からクラスがはじまり、1日に4クラス教えて、午後1時ころ終業。クラブ活動などは、ない。
教育改革はすすんでいて、4年制だったハイスクールは、4年間のジュニアハイスクールと2年間のハイスクール、あわせて6年、国際標準になった。リサの学校は1クラス60人から70人いて、14歳や15歳の難しい年ごろで、くたびれる、そうだ。
たしかに。私の息子も15歳だが、一人でじゅうぶんストレスフル。70人もいるなんておそろしいよ、と笑う。
クラスの人数は多い。キンダーガーデンでさえ1クラス40人50人いるよと言う。
そういえば、以前エラプ校の先生だったロシェル先生は、今は公立のキンダーガーデンの先生をしている。パアラランは、子どもたちだけでなく、先生を育てることもしてきたのだ。

とっても静かで、とってもシャイな私の息子の話。日本ではあんまり気にならないが、ここではそのシャイさ加減は、気にかかる。去年はジェイに「目を見て話してよ」って言われていたし。
ここにいると、パアラランの奨学生たちも、日本の学生たちも、積極的にコミュニケーションをとろうという意欲のある姿を見せてくれるので、それをあたりまえのように思ってしまうわけだけど。
気づいた。私の息子はまだ、たった15歳なのだ。不器用ながら、それでも彼なりの自然さで、ここに滞在していることは、それはそれで立派かも。そして、みんなが、それぞれに自然体でかまってくれるのがありがたい。

私の息子はシャイだけど、私が15歳だったころよりは、ずいぶんずいぶんましだと思いいたった。あの頃、私は、コミュニケーションもへったくれもない、教室でも本で顔を隠していたし、人とのやりとりは、基本、苦痛だった。本のなかに引きこもっているような子どもだった。そうでした、私が知った人に会っても、挨拶もしないことを、母が嘆いていたと、母の死後となりのおばさんから聞かされたわね。

 夜、グレースが、圧力鍋で、牛肉の骨のスープをつくってくれた。