帰省 トーフ型住宅

17日。しまなみ海道を通って四国に渡る。来島海峡。f:id:kazumi_nogi:20190821023535j:plain

宇和島に帰省するのに、いまは高速道路があるのだが、都合で旧道を通る。昔はこの道しかなかった。くねくね曲がって、登ったり降りたり、森は深くて暗い、私の郷里はこんなに遠いのかと思い知る。吐きそうになるし、疲れたけれど、なつかしい道ではあった。谷底のたこ焼き屋でたこ焼き買う。沢の水を使っている、と昔聞いたとおもう、このたこ焼き屋、兄が若い頃からあるそうだから、かれこれ半世紀以上つづいているのかも。

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宇和島にたどり着いて夜、父を誘って近くの回転寿司に行く。お盆明けの土曜日なので、混雑。
待ってる間、父と話す。
息子が、トーフ型住宅と呼ぶが、このあたり、改良住宅が立ち並んでいる。かつて部落の住宅事情は非常に悪かったので、市が四角いコンクリートの住宅団地をつくったのだった。昭和の48年くらいからのもので、もういいかげん古い。そして空き家だらけ。毎年、帰る度に空き家が増えている。庭草が茂るのでわかるのだ。年寄は死んで、若い人たちはもうこんなところに戻ってこない。公園も草が生えて、遊具も古い。子どもの姿は見なかった。
父は改良住宅の近くの、改良されなかった家に住んでいる。たぶん築70年以上。これはもう限界住宅。床は沈むし、隙間だらけだし。ぽっとん便所も勘弁してほしいし。でも父がかたくなに引っ越さないのは、家賃が安いから。ひとりだし、もうめんどくさいから。

ところで市は、トーフ型改良住宅が老朽化したので、壊して新しく建てることにした。5年後。その新しい住宅に入居する希望を父は出した。それはもうぜひ長生きして、せめて人生の最後は新しい家で暮らしてほしい。
帰省する度、父の家は、だんだん家具がすくなくなっている。もう本棚と仏壇ぐらいしかなくなっているが、新しい仏壇が欲しいというので、買ってあげる約束をした。いまのは一見立派だが、実はぼろぼろで、蝶番も壊れていたり、虫が出入り自由なのだそうだ。
父の家はエアコンはつけているが壊れている。実は壊れる前から、ほとんど使っていない。扇風機とかき氷でしのいでいる。で、この暑いのに80代半ばの年寄りが何しているかというと、草引き。近所の空き家が草ぼうぼうになるのを、せっせせっせと抜いている。昔から庭仕事は好きな人だ。それで、父の家の近くは空き家だらけだが、こざっぱりしている。
草引きはしたほうがいいそうだ。しないと、夜、眠れないそうなのだった。

私はここで暮らしたことがないので、このトーフ型住宅でどんな人がどう生きていたか、ほとんどわからない。トーフ型住宅が建ち始めたころ、私は小学生で、同級生がこのあたりに住んでいた。あのころは、牛を飼っていたり、豚を飼っていたりしたのに、どこにでも鶏はいたのに、いまはもうなんにもない。同級生たちの消息も知らない。
昔は、闘鶏の鶏をどこでも飼っていたらしい。それはフィリピンで、パヤタスの人たちが、路地で鶏を飼っているのとおなじような感じだったと思うよと、息子と話す。

国道沿いに、父の家からごく近いところに、コメダ珈琲店ができていた。行ってみようと父を誘ったが、そんなものに金が払えるか、とにべもなく断られた。たしかに家でインスタントコーヒー飲めば安いが、昔はコーヒーをよく飲む人だったのに、今はまったく飲まなくなった。嗜好の問題というより、懐具合の問題なのだと思う。
でも、孫に寿司は食わせるのだ。ついでに小遣いもやるのだった。

 

さて、その小遣いで、息子は四国西南部を電車とバスでめぐる周遊券(3日間つかえる)を買った。