居場所

町会費の集金が来て、また1か月が過ぎたことを知らされる。いろいろ焦るけど。

先週、パアラランへの送金ができて、ちょっと一息。あるだけ送って、もうこちらには何にもないので、このあとは運を天にまかすしかなく、考えようによっては泣きそうな気持だが、毎年この調子で、パアラランは30年続いてきたのだった。
レティ先生が変わらない。お金がないから、もう学校を閉じようかと、彼女は1995年にも言った。そして同時に、でも子どもたちが来るから閉じられない、と言った。24年後にも私は同じセリフを聞いた。それで、レティ先生が続けるなら私も続けるのだ。このシンプルさを信じてる。
そして学校は、やってくる子どもたちにあわせて、自由にその形態を変化させながら、子どもたちが来るから続いている、30年。
5年10年25年と、支援を続けてくださるみなさまに、本当にありがとうございます。ゴミの中に家があり、ゴミの上に家があり、というあのめちゃくちゃななかで育った子どもたちが、教育を受けた大人になり、自分の家族とコミュニティを支えているのを見ると、この地上に生きてよかったなと思います。

こないだ久しぶりに、Yくんのママに会った。息子が小学校時代から尊敬している友人が2人いて、ひとりがYくん。さすがの自閉症で、ふたりとも会っても何にも話せないのがおかしいが、Yくんに出会えたことは大きな財産だと思う。小学校5年から中学時代ずっと不登校だったYくんは、いまは通信制の高校で、学級というような縛りもなく、純粋に勉強のためだけに通えるので、2週間に一度ずつ、快く通えているらしい。7時間、1番前の席で授業を受けてくる。勉強できる環境ができてほんとによかったよ。
彼はほんとに頭のいい子だったので、なぜその子が、教室にいられず、ふれあい教室に行ってもろくに勉強をみてもらえるわけでなく、通知表は何から何まで1か2ということになるのか(しかも公立高校の入試は内申が5割以上)、学校制度そのものが、大きないじめをしているように見えて、私でさえ、頭に血がのぼりそうで、お母さんはどんなに悔しかったろうと思うもん。

 

『「ふつうの子」なんてどこにもいない』(木村泰子)という本は、大空小学校の話。特別支援学級も必要ないし、不登校もいない、どんな子でも学校に居場所があるという学校は、現実に可能だという話。
「周りが育てば障害はすべて個性に変わる」という確信がすばらしい。悩み、とみえるものが、オセロを裏返すように、ことごとく希望に変わってゆく。

息子が笑いながら読んでた。よほど胸がすいたのだろう。子どものいじめは大人が悪い、というあたりに鉛筆で線を引いてた。

いろいろ思い出すと、よくがんばったよと、小学校の頃の自分をほめてやりたいそうだ。いや、ほんとによくがんばったと思うよ。しかし、よくいじめられたよね。へんな事件がたくさんあった。学校に通い続けたのは、自分の居場所を死守しようという、息子なりの意地だったのだと思う。

6年の頃に、息子を恫喝してくる男子がいて、私は記憶してないが、それで一度だけ学校に行けなかったことがある、らしい。(私はあっさりと休ませたらしい)。息子は彼らのせいで地元中学に行くのはどうしてもいやだったのだが、中学では、その男子が不登校になったらしい。いきがってみてはくずおれていくという印象だったが。

パアラランや大空小学校の話を思うと、みんなもっと、幸福な子供時代を送れるはずだよ、と思う。学校というところも、周りの大人も、もっと子どもたちを幸福にできるはずだよ、と思う。
そうならないのは、子どもたちにばかり変わることを(たぶん大人の都合のいいように)求めて、学校や大人自身が変わるべきなんだということに、ほとんど何にも気づかずにいるからなんだろうな、と自戒を込めて。