待つ

中国の女の子が、太宰治を朗読しているのを、テレビで見かけた。
省線のその小さい駅に、私は毎日、人をお迎えにまいります。誰とも、わからぬ人を迎えに」続きが気になって探す。

青空文庫にあった。ごく短い。

太宰治 待つ

こういうのを書いてくれる太宰はやっぱりいいなあと思う。

「私は、人間をきらいです。いいえ、こわいのです。人と顔を合せて、お変りありませんか、寒くなりました、などと言いたくもない挨拶を、いい加減に言っていると、なんだか、自分ほどの嘘つきが世界中にいないような苦しい気持になって、死にたくなります」

私は、町内会の大掃除のあとなんかに、思いますね。周囲の人となんにも話ができないと、自分は駄目だなあという気になるし、朗らかに話ができると、上手な嘘をついたような気持ちになって苦しいし。でも、無駄に落ち込むのも飽きたので、そういうことは一瞬で忘れるように心がける。「けっ」と思って、自分で自分の気持ちを蹴散らすようにしている。

「家にいて、母と二人きりで黙って縫物をしていると、一ばんらくな気持でした。けれども、いよいよ大戦争がはじまって、周囲がひどく緊張してまいりましてからは、私だけが家で毎日ぼんやりしているのが大変わるい事のような気がして来て、何だか不安で、ちっとも落ちつかなくなりました。」

それよ、それよ。「毎日ぼんやりしているのが大変わるい事のような気」は、ずっとしていたし、今でもする。でも、毎日ぼんやりしかできないので、私は、いつも、なにかまちがって存在しているような、気がして仕方なかった。「大戦争がはじまって」いるからだと、この娘さんは言うんだけど、でも戦争でなくても、そうなのだ。
戦争のころと同じような力が、いつでも、いまでも働いているかしら。


「毎日ぼんやりしている」のは全然悪いことじゃないんですよ、と言い聞かせる。

全然悪いことじゃないんですけど、季節はめぐるので、衣替えをそろそろしないと。

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町内会の大掃除の日に刈られていた。あんまりきれいな色の実なので、もって帰ってしばらく眺めた。野葡萄だと教えてもらった。