詩を書く少年

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数日前の夕空。
私が高校生の頃に使っていた現代文の参考書を、息子が読んでいて、問題文の三島由紀夫の「詩を書く少年」が面白かったという。
そうでしょうそうでしょう。「仮面の告白」を面白いと読んでいた子なので、そのあたりははまるだろうと思った。短い小説だけど、手もとの文庫には収録されてない。

私は、高校1年の夏にそれを読んで、学校の図書館の三島由紀夫全集で探したのだった。借りて返って、そのころ、田舎の子どもはコピー機なんて見たことも聞いたこともなかった、学校のプリントもテストもガリ版だった時代なので、どうしたかというと書き写した。ノートに鉛筆で。「詩を書く少年」と「煙草」の2作品。ついでに漢字は旧字体。あれでずいぶん、漢字を覚えた。その書き写したやつが、しばらく前に押し入れを片付けたときに、一番奥の段ボールの紙くずの中から出てきて、ふるえたが、たいていのものは失くしているのに、なんでこんなものが残っているのかよくわからないが、ここまで残ったんなら、焦って処分することもあるまいと、また段ボールのなかに戻して一番奥にしまった。

さて、息子が面白かったというので、じゃあ全文読めばいいよ、と声はかけたが、ネットの青空文庫にははいってないし、いちいち図書館で全集を探すとも思えないし、私もまさか押し入れの奥から出してくる気もしないし、たぶん、読まないままかもな。でも私も、全文書き写したはずなのに、覚えているのは、その問題集に引用されていた部分と、それをはじめて読んだときの、どきどきした気持ち、だけなので、それはそれでいいんだろう。

ちょっと共犯者になった気持ち。私、あんたと同級生だったら楽しかったかもと思うわ。
その同級生はいま切実にスマホを欲しがっている。

10月最後の日、首里城炎上の映像を見た。それから市内に降りて、92歳のお婆さんの被爆体験を聞く。街が2日間燃えていたということなど。亡くなった人たちのことを話しながら涙ぐむのを見ていたら、こちらも涙が出ていた。
「この世界の片隅で」(岩波新書)をいまさらながら読んでいたら、なんでもないような自然さで「死に見守られて」というような言葉が出てきて、胸をつかれる。1965年の本。そのころの景色。

夜、帰ったら、大臣がやめたというニュースで、どこかで見た顔と思ったら地元じゃん。幼稚園の運動会とか老人会で、見たことある。

というハロウィンの一日。

あ、それから大学入試、英語の民間試験の導入が見送りになったというニュース。当然だと思う。 わけわからなかったし。こっちの大臣はやめないのかな、身の丈発言はすばらしくとんでもなかったけど。
田舎の貧乏な家の子どもだった私にとって、大学進学がどれほどハードルが高かったか、だれかに思いやってもらった記憶もないが、あんなしんどい思いは、あんまりしなくていいと思うんだよね。模擬試験一つ受けるのもお金がかかる、その一つ一つについて、金のない親と身の程知らずの子どもの間で、泣きわめきながらの言い争いが家庭で起こることを、少し想像してほしいと思うのだ。数万円の受験料って、おそろしいよ?