11月1日

そういえば10月最後の日、上野動物園のモノレールが運行を終えた。老朽化のため、という。この3月、息子と東京に行ったときに乗った。ここには世界でたったひとつのタイプのモノレールが走っている、と息子が教えてくれるまで、モノレールがあることも知らなかった。乗ったからといって、どうってことなかったが、消える前に乗ることができてよかったね。

f:id:kazumi_nogi:20191103172833j:plain

翌日の11月1日、信じられないことだが、息子は16歳になった。そして突然、隣県から義父さんがやってきた。午後まだはやい時間に。連絡もなしに。突然。留守だったらどうするつもりだったのだろう。
孫に会いたくて。
学校に迎えに行って、それから晩御飯を食べに行こうという。しかしだ、高校生だよ、小学校と違って帰るの遅いよ。
でも義父さんをとめることはできないので、つきあう。まず私たちは近くの病院に薬をもらいに行かなければいけない。パパが診察の間、そんなに長い時間でもないのに、義父さん待てない。孫と行き違いになったらどうするか、と心配する。ぜんっぜん大丈夫です。あの子は暗くなるまで学校にいる。それから薬局で薬をもらって、学校に着いたのは4時半。ぼつぼつ帰りはじめている生徒たちもいるが、息子の靴箱にはまだ靴がある。
じいちゃんが迎えにきているから車を探せというメモを入れて待つ。運動場には運動部の生徒たち。頭上からは吹奏楽の音。1時間もすると外はもう暗くて、運動部の生徒もひきあげるが、息子はまだ出てこない。
いつもこんなに遅いのか、と言う。いつもこんなに遅い。ときどきはもっと遅い。義父さんついに車を出て、靴脱ぎ場の前に立って待つ。姿勢もいいし、先生か教育委員会が立っているっぽく見えなくもない。
家に帰るのがいやで、遅くまで学校にいるのではないか、と義父さんが言う。家が楽しいわけないじゃないですか。そろそろ家を出たいと思う年ごろなのに。学校が楽しいんだから何よりです。
私たちは車のなかで寝て待つ。親までそこに立っていたら、息子はおそろしいだろう。
義父さん1時間立って待つ。それはもうそうさせるしかないので、パパは黙っている。

靴箱を見つめながら、ずっと立って待っていたのに、義父さん、孫が出てきたことに気づかなかった。車を探しにきた子を私が先に見つけた。メモを見てほんとに驚いたらしい。7時前。数学の追試を受ける友だちの勉強を手伝って、そのあと、部活で遊んでた。よりによってこういう日に、一番遅くまで。

それから、寿司食べにいく。近いほうの店は単価が高い。でも義父さんはそれでもよいそうなのでそうする。「この2人(父と祖父)が一緒にいると、ぼくはもうどうしていいか。つかれるよ」と息子が私にこっそり言う。いやいや同感ですけどね。昔のような激しい口論はなくなったし、仲が悪いというわけでもないし、互いを思いやってさえいるのだが、何かしら言いようのないぎくしゃく感。
まあ、気にするな、食べたいものを食べればいいよ。
孫が大学に入学するまでは生きていたいが、一緒に飯を食えるのも最後かもしれないとか、老人には老人の感傷があるようだった。

あのさ、思うんだけど、みんなどっか壊れてるわけよ。最近のきみのお気に入りの言葉の、ニューロ・ダイバーシティを翻訳すると「みんなどっか壊れてる」になるよ。で、うちは、テーブルに欠けた茶碗や、ヒビの入った皿を並べてごはん食べてるけど、家族っていうのは、なんかそういうものよ。割れてしまったら無理だけど、そうでなかったら、じゅうぶんしあわせな食卓ですよ。

きみは誕生日のお小遣いももらったし。