真っ赤な秋

朝、外に出ると風景が赤い。向かいの森が真っ赤だ。

f:id:kazumi_nogi:20191206185703j:plain

f:id:kazumi_nogi:20191206185539j:plain

森の奥にいる考える人。
12月。私がどんなに怠けても、季節は怠けずに過ぎていく。過酷なことだ。

11月の終わり。ひさしぶりに映画を見に行った。「ゴッホ、永遠の門」。よかった。ときどき視野がゆらぐのが、ゴッホの意識にあわせた映像なのか、私の視力の衰えなのか、わからなくて、不安になったけど。
東京にいた頃に、はじめてゴッホ展に行ったときに感じた生々しさを思い出した。こういうものの感じ方をしながら、ずっと生きていけるはずがないと思った。思ったのだけれど、ゴッホの死が自殺でないなら、それはなにか、よかったことのような気がする。

「エリ・ヴィ―ゼルの教室から」という本を読んだ。よい本が読めてうれしい。ヴィ―ゼルの弟子だった人が、ボストン大学で教鞭を執っていたヴィ―ゼルの教育について、縷々綴っている。ヴィ―ゼルの書物の、深さと静けさは、この世でもっとも信頼できるものの一つだと私は思っているんだけれど、晩年の彼の姿に、何かほがらかなものがあって、それが何かうれしかった。
「もしわたしに信仰がなかったら、人生はずっと楽だったろう」
にもかかわらず、信仰者でありつづけたことが、ヴィ―ゼルの神髄だったと思う。祈り、ということ。

★★

息子の定期考査が帰ってきて、物理以外のすべての教科が前回よりよくできているのでほめてやりたいが、それらすべての得点UP分を帳消しにするほど、物理がよろしくない。問題の最初で間違えて、大問20点分ふたつを台無しにしたらしい。この人ときどきこういうことをする。ま、お疲れ。
古典は学年トップだったらしい。私、復習のプリントつくってやったのだが、伊勢物語とか、唐詩とか、いーや、なつかしかった。他の科目は関与せず。

英語の民間試験導入見送りにつづいて、国語数学の記述式も見送りになるのかな。当然そうなるべきと思う。でも今日、ベネッセから記述式対策のDM届いていた。

記述式といえば、夏休み明けの英語の模試で、内容わかっているし当然満点と本人は思っていた記述が、20点中1点しかなかったのは、あんまりだと私も思ったが、そういうことは起こってくると思う。以来、彼は試験の自己採点を低めに勘定するようになった。「どこで難癖つけられるかわかんないし、自分はたぶんどこかで間違っているだろうから」って。

日頃、△(減点)ありすぎの記述なので、定期考査の世界史の記述が満点だったのはうれしかったらしい。産業革命について。たぶん蒸気機関車が走ったからだろう。

息子、家では、ワードで旅の話など書き始めている。難癖つけられない記述なら好きそうだ。電車の話がこまかい。