どこか、安心できる場所で

今読んでいる本のタイトル。「どこか、安心できる場所で」(新しいイタリアの文学)という短編アンソロジー。子ども、底辺労働者、移民たちのささやかな物語たち。なんといっても本のタイトルがいい。ちょっと泣きたくなるタイトルだ。

朝、弟から電話。いきなり。何年ぶりだろう。
家族からの電話は緊張する。何があったかと思って。弟が言う。松山の伯父から伝言だ、と。声がのんきでちょっと安心する。伯父さん、まだ生きていたのか。90歳くらいのはずだ。弟、仕事が休みで、伯父さんのところに行ったらしい。昔にくらべて小さく弱々しくなっていたけど、姉ちゃんに言っとけって。
さて何を。たぶん20年くらい前に祖母の葬式で会って以来、だけど。
旦那さんと息子を大切にせえって。
ああそう。
まあ、たぶんそれは電話の口実だ。携帯電話が変わったからメモしとけって言う。

はい、します。
仕事、変わったらしい。前の運送屋さん、どうしたの? 「経営不振」
なんで? 「入ってくる人間、入ってくる人間、ぼくみたいに事故して」
それは不運な。「無理な仕事とって、寝不足で働かせるから」
なるほど。そういうところでしたか。
いまのところは、前の運送屋とつきあいのあった別の運送屋で、弟はそこに移った。たぶん社長同士が話をつけたのだろう。「いまのところは、睡眠時間も十分にとれるからいい」と言う。それならよかった。で、給料日になると、前の会社が、給料のなかから、借金をもっていくのだそうだ。
どれだけ借金残ってるか知らないが。
これから父のところに行くという。兄のところは行けないよね、ときくと、「兄貴に謝っといて。ぼくが悪かった」と私が伝言を頼まれた。
父と兄と弟の、男たちの感情の問題は、知らんよ。母が死んだあとは、一緒に暮らすこともできないわけだった。
この、男ばっかし残された家族のなかで、いくらかは私が、緩衝材になっていると思うけど。
息子が何歳になったかと聞く。高1。「やんちゃな頃やろ」。
自分と一緒にすな。姉ちゃんの子や、いい子よ。
「いじめられてなかったらええわい」。それはそうやね。

弟は息子が赤ちゃんのときに一度会った。15年ほど前。それ以来会ってない。あのときは弟の大きな声に、赤ちゃんはすっかりおびえていた。覚えてないだろうが。

何日か休みがあるので、そっちへ行こうか、と弟が言った。来んでええ、と答えた。
距離もあるのに、事故されたらかなわん、とまず思ったのだが、
ちょっとさびしい思いをさせたかなと、あとで少し、胸が痛んだ。

ここは、私たちが育ったような環境ではなくて、母がいたような家ではなくて、弟が来て、安心できるような場所を、どうつくってやればいいのか、わからなかったからでもある。来たら、逆にさびしい思いをさせるかもしれない。
ごめんな。とっさにあんたを迎える心構えができなかったのだ。
母にいてほしいよ。

と、思ったからか、そのあと、すこし眠くて昼寝した夢のなかに、母が出てきた。といっても、顔もはっきりわからない人だったが。私がいろんなところでいろんな人に世話になりながら生きていて、住み込みで働いている温泉宿か何かの、宿のおかみが、数年前に亡くなったお姉さん(昔その人の家にしばらく住んでたことがあるんだけど)で、母が、田舎から、抱えきれないほどの菓子のつつみか何かをもって、私が世話になっていることへの礼だか詫びだかを言いに来たという、夢。
母の横で私も頭をさげながら、そこにはいない弟に、母さんは早く死んでよかったよ、と呼びかけていた。

生きていたらさ、母さんは、兄や私やあんたのために、どれだけの菓子折りをもって、どれだけ頭を下げにまわらなければならなかったことか。それをさせることを考えたら、自分が生きていることがつらくなるわ。
そういうことを、させずにすんで、よかったわ。

今度、私が会いに行くよ。できれば、ふるさとで会おうよ。