存在しようと

詩誌「みらいらん」。コラム書かせてもらったので、貼っときます。

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ドイツ語ができないので、リルケの詩が本当はどうなのか、わからない。手もとにある3冊ほどの詩集の訳はそれぞれに違っていて、私が15歳のときに、記憶した訳とも違う。どんな本を読んだのか、誰の訳だったのか、いまもさっぱりわからない。

北海道に行ったときに、どこかの小さな駅で、ストーブにあたっていたら、嫁に来んかと、眉毛の長いおじいさんに声をかけられた。村の若い者のところに来てくれる嫁を探しているのだといった。家と広い土地と車がある。無理です、と思った。こんな寒いところは、私は無理。3月も雪なんて、そんなのは無理。
フィリピンから来た嫁もいる、とおじいさんは言った。それはすごい、と思った。こんな遠くへ、こんな寒いところへ。
夜だったと思う。そのあとどうしたんだろう。その前後の記憶は消えている。おじいさんの眉毛の長さに、異郷を感じたのと、自分がほんとうはとてもこわがりだということを、思い出したのだった。

昨日、息子と街に降りたので、平和公園に行く。国際会議場地下、高校生が描いた原爆の絵の展示の最終日。

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製作は、被爆者から、被爆体験を聞く、というところからはじまる。それも、一対一で。それは心臓に痣が浮かぶようなことの気がする。その痣が、画布に写される。きっと、痣になったぶんしか絵にならない。
それぞれの絵は、過去が、死に物狂いで、生きのびようと、未来に手を伸ばしている姿に見えた。その、焼けた手、血まみれの手。たくさんの死体と瓦礫のなかから。不覚にも目がうるんできた。

それから息子は、模型屋に遊びに行き、模型のほかに、西村京太郎の文庫の中古を買ってくる。なんとか鉄道殺人事件、みたいなやつ。気になるらしい。もう相当に古いよね。

それから待ち合わせて一緒に帰り、途中で降りて、古着屋で、息子のコート300円で買う。学校指定のコートは2万円だった。4冬着たが、もう小さくて来年は着れない。新しいのをまた2万円出して買うのはしんどい。ボタンを付け替えたら、学校指定のに見えると思う。ありがたい古着屋。


「苦しみを負いなさい。苦しみには理想があります」
というようなセリフが、「罪と罰」のどこかにあったと、記憶しているんだけれども、いざ探そうとすると見当たらない。場面も思い出せない。丁寧に読み返してもいないんだけれど。