阿川パパ

1か月くらい前かな、テレビに、山口の阿川駅が映った。それで、なになに、とのぞきこんだら、鉄道番組じゃなくて、阿川佐和子ファミリーヒストリーだった。
阿川のルーツがそこだということで。
で、お父さんの阿川弘之が広島で生まれ育って付属から東大に行って、それから戦争に行って、というようなことは、知っていたような知らなかったような。
それで東京で、足繁く通ったのが哲学者・谷川徹三の自宅だった。長男の谷川俊太郎が、阿川弘之が酔っぱらって母の膝枕で寝ていたことを語っていた。
証言1
「やっぱり人柄なんじゃないかな。阿川さんは潜在意識がすごい綺麗な人なんですよ。つまり意識下にみんな恨みつらみなんかを溜め込むでしょ。そういうのが一切ないという感じがしますね。本当に正直に人と接することができる人」

で、結婚して子供ができる。癇癪もちだったらしい。佐和子の弟が話していた。
証言2
父がいきなりセーターを脱いだ時に、その手がボーンと母の頭にあたって、母が倒れたんですよ。その時の第一声の父の言葉が「お前はなぜそこに立ってるんだ。だから倒れたんだ」といった時には私はびっくりしましたよね。こんなの許されるのかなと。


ここで、うちのパパが言った。「それはわしだ」。
そうだそうだ。私と息子は大笑いして、日頃の留飲を下げた。

パパが言うには、それは、負けた人間のメンタリティなんだという。つまり、カープが弱かったころを考えてみろ、バッターボックスに王貞治がいる、カープの投手が投げたボールがデッドボールで王にあたる。「おまえがそんなところにいるからぶつかったやないか」と言いたくなる。
そういうことらしい。うんうんと息子はうなずいていたが、私はさっぱりわからんわい。

阿川弘之は、戦争で負けた。本気で戦争に行って、その人生を否定された。
たぶん、うちのパパにもパパなりの、負けがあるのだろう。

それはそれとして、大事なのは、証言1で、なるほど、潜在意識に恨みつらみがないから、一緒に暮らせているんだと思った。

思えば、男でも女でも、どんなに親しくても、ある時突然のように、恨まれる憎まれるということが起きるのだったが、そういうとき、気づかずに、私は踏み抜いてしまったらしい、という感じがするのだが、気づかないので避けようがない。
そうだった。隠されているものが、いつもこわかったのだ。

でもいま、私はそういうことをまったく警戒せずに、安心して暮らせているし、むしろ踏み抜いても大丈夫なので、踏み抜く必要がないという感じだけれど、たぶん、そうでなければ、人と一緒に暮らすなんてこわすぎる。

安心して一緒にいられる家族と友だちがいてくれて、私は幸せな人生になったと思う。

で、阿川パパは、鉄道ファンだったらしい。「きかんしゃ やえもん」を書いた人らしい。ということで、阿川パパは、我が家の登場人物になった。本、読んだことあるかな。ないかもな。名前だけは子どもの頃からよく見ていた気がする。